二日前、僕はエレクトリック・レディ・スタジオでレコーディングしていた
二日前、僕はエレクトリック・レディ・スタジオでレコーディングしていた。家に帰る途中、通勤列車がトンネルの中で立ち往生した。僕は世界から締め出されたように感じた。なぜなら、僕は電話とWiFiの圏外にいたからだ。僕は、僕らが避難してねずみのはびこる通路を歩かなくてはいけないのかと思った。
暫くして、その列車はニューヨークへ戻ることが出来た。全乗客が代替列車に乗り、僕の旅は改めて始まった。その時点で僕はとても疲れていて、寝過ごしてしまった。僕は降りる駅を乗り過ごしてしまい、僕の(住む)街へ帰る為タクシーを拾わなくてはいけなかった。運転手に支払おうとした時、僕はその予想していなかった旅に足りるお金を持っていなかった。
その運転手は僕をATMに連れていき、そして僕の車に戻った。そして、僕はようやく家までの残りの道を運転した。僕はインターネットに接続し、衝撃的なニュース速報の詳細を見始めた。上の出来事はホイットニー・ヒューストン(安らかに眠れ)の物語が発表されている間にすべて起こったのだ。
通勤列車がトンネルの中で立ち往生した
僕は、僕らが避難してねずみのはびこる通路を歩かなくてはいけないのかと思った
僕は寝過ごしてしまい、僕のコネティカットのウエストポートの街までタクシーで帰らなくてはならなかった
ホイットニー・ヒューストンのニュースが発表されていた
ホイットニー・ヒューストンのニュースが発表されていた
ホイットニー・ヒューストンのニュースが発表されていた
ホイットニー・ヒューストンのニュースが発表されていた
ホイットニー・ヒューストン - 神が与えた声
比類のない仲間に僕の最も心からの哀悼の意を
ホイットニー・ヒューストン...
アイデアのほとんどを作っていた80年代の僕のアパートでの僕
僕は昨日殆どオフラインで過ごしていた。というのも、僕は80年代の膨大な量の未発表テープを聴く事に没頭していたからだ。僕はナイル・ロジャース制作のテープで一杯になった9つの箱を持っている。
大体僕は数々の別のプロジェクトを(並行で)手掛けている。同じ名前の曲が沢山あるが、それらは別の曲だ。僕はアイデアから始めて、基礎となるタイトルをその曲につける。そして、その工程の最後までに、それはとても音楽的に別の曲となるのだ。
幾つかの曲で、僕はバーナード・エドワーズと演奏した。全てのこの音源の発見での素晴らしいことは、これで僕が行った膨大な量のレコーディングが発見されたという事だ。僕は基本的に毎日スタジオに行ったものだった。
次の数カ月で、僕はこの中の幾つかのプロジェクトを終わらせて発表するつもりだ。何故なら、これらの曲の幾つかはどうしようもなくファンキーだからだ。
85年、ライヴ・エイドの数カ月前の僕
80年代、パワー・ステーション(・スタジオ)での僕とバーナード・エドワーズ
映画「アルファベット・シティ」用の曲のラフ・ミックス、80年代の未発表のもの
80年代の未発表のマスターテープ
フォーンジー・ソーントンの(未発表)アルバムからの、80年代の未発表曲のマスター(テープ)
80年代「アルファベット・シティ」のサウンドトラック、未発表の全てのソニーデジタルマルチトラック
CHIC Organizationの80年代未発表の二曲のアナログマルチトラック
これらは80年代のものの未発表でどうしようもなくファンキーなデモ
僕のエンジニア、グレイ・トールとスタジオの中での僕とポーラ・アブドゥル
昨日、僕はほぼ20年会っていなかった二人の友達の訪問を受けた。著名な作曲家である(メガソングライターチームのリーバー&ストーラーの)ジェリー・リーバーの息子のオリバー・リーバー、そして映画製作者のアヌーク・ノラだ。僕の人生の大半で知っているオリバーは、ポーラ・アブドゥルの2つのナンバーワンになった曲、"Forever Your Girl"と"Opposites Attract"と共に世界に突然現れた。
僕は映画Coming to America(邦題:星の王子ニューヨークへ行く)でポーラと仕事をした。僕は映画の楽譜を書き、彼女はアフリカの部族ダンスシーンの振り付けをした。
オリバーの兄弟は、僕とジェフ・ベックと共同でニック・ノルティとシャキール・オニール主演のブルー・チップスという映画の楽譜を書いたジェド・リーバーだ。
アヌークと僕はラ・サマンナというセント・マーティンにあるプレミアリゾートを彼女の家族が所有していた頃とても親密だった。彼女はずっと昔、映画製作者マーカス・ニスペルのパートナーだった。僕らはオレ・オレ"マルタ・サンチェス主演Soldados del Amor"をやったのだ。あぁ!時の経つのは早い!
オリバー・リーバーとアヌーク・ノラ
ジェドのスタジオでのジェド・リーバーとエルトン・ジョン
アヌークと僕
マルタ・サンチェス
ポーラ・アブドゥル"Opposites Attract"
"Coming to America(邦題:星の王子ニューヨークへ行く)"アフリカ部族ダンス-僕が楽譜を書き、ポーラ・アブドゥルが振り付けをした
僕とジェド・リーバーそしてジェフ・ベックが共同で音楽を書いた-映画ブルー・チップスから
オレ・オレ"マルタ・サンチェス主演Soldados del Amor"-3分30秒のところで僕のギターがくるのを聴ける
フォラミ、僕そしてキム
僕は昨夜、"Good Times" を演奏する僕、フォラミそしてキムのコピーを受け取った。僕らは『プロムの夜』というツアーの一員として交響楽団と共演していた。これはドイツのドルトムントで録音されたものだ。
音楽を一緒に演奏している時、(演奏者同士が)如何に近くなるかというのは驚くべきことだ。何故ならそれは協力的な取り組みだからだ。CHICの音楽を解釈しているクラッシックの演奏家は本当に興味深い。それは僕が常に信じている何か:音楽は僕らが皆本質的に理解している世界共通語だという事 - を実証している。
ずっと昔に僕らとステージで踊った、僕らの音楽を押し上げたハードコアな地下クラブの中を見たこともない人々を見る(彼等と一緒に舞台に立つ)事は、僕の心を暖かくする。
ドイツ、ドルトムントでのCHIC&プロムの夜(オーケストラ) "GOOD TIMES"ライブ
CHICの弦楽器パート、ドイツ部門
主演ソリストと『プロムの夜』中核チーム - ドルトムントの楽屋にて
オーケストラとのリハーサル - 音楽の世界共通語
僕とダフト・パンク - ニューヨーク・シティの僕のアパートにて
僕は早朝の列車を捕まえなくてはいけなかった。何故なら、僕はダフト・パンクと出来るだけ多くの時間を過ごしたかったのだ。僕らは失った時間と、過去に逃した出会いを取り戻しさなくてはいけなかったのだ。会っている間、トーマスは ”ナイル、すべてが完璧に運び、僕らにこの時を運んできたんだ” と言った。
僕らは素晴らしい一日を過ごした。彼らはその日ニューヨークの僕のアパートに殆どいた。物事はうまくいき、僕らはその日が終わって欲しくなかった。だが、僕はオーストラリアでの来たるCHICのギグの為の一連のインタビューをこなさなくてはいけなかった。インタビューの後、僕は僕の好きなダフト・パンクのレコードを聴いた。
点の上にマウスポインタを乗せて楽しんで!
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ダフト・パンク "Da Funk"
映画「トロン:レガシー」より "The Grid" - 完全に格好良い!
ダフト・パンク
今日、僕はトーマ・バンガルテルとギ=マニュエル・ド・オメン=クリストという、ダフト・パンクとしてより知られる二人と時間を過ごすつもりだ。僕らは以前、彼らが90年代にニューヨーク・シティであったリスニング・パーティの一種をしていた時にちょっとの間会っていた。その場所は混沌としていて、彼らが僕の以前のパートナー、バーナード・エドワーズの死について残念だと語った事以外、僕らは実際にはアーティストとしての繋がりを持てた訳ではなかった。そして彼らはCHICを気に入っていた。その印象はお互いに共通したものだ。
そう、僕もダフト・パンクを気に入っている。最初に "Da Funk" を聞いた時、僕はそれが長く聞いてきた中でも最高にグルービーなレコードの一つだと思った。"One More Time" という曲は僕がパリに旅行してヴァージンレコードを訪れた時に世に出たものだ。
僕はほぼ彼らと付き合うようになっていたが、何が悪かったのか憶えていない。 "Harder, Better, Faster, Stronger (仕事は終わらない)"僕はこの曲を聴いた時、その年の一番格好いいレコードの一つだと強く思った。
ほぼ付き合うようになったこの数年後、ついにダフト・パンクは僕の家で寛ぐようになった。
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ダフト・パンク "Da Funk"
映画「トロン: レガシー」より "The Grid" - 完全に格好良い!
テキサス小児癌センターのバナー
早朝、ヒューストンのフォーシーズンズホテルを出る僕の顔に太陽が降り注いだ。CHIC orgがテキサス小児癌センターに行く途中で、僕らはちょっとしたジャムセッションをした。
僕らは スーとレスター・スミスによって組織されたチャリティコンサートをする為に街にいた。彼らは記録破りの$32,260,000を集めた。そのお金は僕らにとって重要だ。何故なら、子供たちだけではなく、その世話をする人、スタッフ、ボランティアそしてこの過程に参加する皆の人生を変えることが出来るのだから。
全ての経験が僕にとって人生を変える感銘を与えた。僕は今日コネティカットに帰るが僕はスー、レスターそして小児病院の皆に感謝し、君たちのことを思っていることを確信している。
早朝、ヒューストンのフォーシーズンズホテルを出る僕の顔に太陽が降り注いだ
テキサス小児癌センターに到着するCHIC org
CHIC org のギター・テック、テリー・ブラウアー
癌センターで皆の為にメロディを演奏するCHIC org
僕が会った患者、スタッフそして家族の皆-君達のことを思っている
癌センターで別の曲を演奏する
フォラミ、キム
Purple Songs Can Fly音楽プロジェクトのポスター
君達は素晴らしく歌った。そして僕は君達のことを思っている
君達は素晴らしい施設を走った。そして僕は君達のことを思っている
君達はふたりとも素敵で親切だった。僕は君達のことを思っている
患者、スタッフそして家族の皆。僕は君達のことを思っている
テキサス小児癌資金集めガラのサウンドチェックの直前の僕を撮った写真
僕は君が僕の為に曲を書いてくれた事が光栄だ。そして僕は君達のことを思っている
フォラミ
ガイドツアーをして貰う
演奏する
The CHIC Organization "Thinking Of You" ライブ
テキサス小児病院癌センターの患者とスタッフ
昨日、僕はテキサス小児病院癌センターの患者やスタッフと一日を過ごした。それは驚くような場所だった。僕は技術、娯楽、ひらめき、芸術、音楽、崇高さ、そして人間性の調和に非常に感銘を受けた。
僕は普段よく喋るが、”百聞は一見に如かず”と言われるように、これらの写真はその価値がある。これが僕が如何に僕の一日を幾人かの"本物の(素晴らしい)"人々と過ごしたかだ。
技術の素晴らしい調和
娯楽の素晴らしい調和
ひらめきの素晴らしい調和
芸術の素晴らしい調和
音楽の素晴らしい調和
“本物の”人々と
“本物の”人々と
“本物の”人々と
“本物の”人々と
“本物の”人々と
“本物の”人々と
CHIC "Real People (1980)"
一年ちょっと前、僕は進行性の前立腺癌で入院していた
一年ちょっと前、僕は進行性の前立腺癌で入院していた。それ以来、音楽は僕の回復プログラムに不可欠のものとなった。僕が世界中どこにいようと、毎日僕は歌い、演奏する。
昨日、僕は第四段階の前立腺癌を患う、音楽業界のとても良い友人と話した。治療の直後、彼はツアーに戻る。
今日僕はテキサス小児病院癌センターで、昼間そして今夜遅くまで歌っている。僕はチャリティコンサートをしているのだ。音楽は僕を前進させ続けるものだ。僕はここに来て、子供たちの為に演奏出来て嬉しい。
最近、僕は肉体的に辛いが、僕はこれが僕を精神的に再充電してくれるのを知っている。子供たちの勇敢さほど、僕も勇敢になれるという事を気付かせてくれるものはない!
We Are Family Foundation財団制作の "We Are Family: 皆の為の音楽のメッセージ"
僕が世界中どこにいようと、毎日僕は歌い、演奏する。
僕が世界中どこにいようと、毎日僕は歌い、演奏する。
僕が世界中どこにいようと、毎日僕は歌い、演奏する。
僕が世界中どこにいようと、毎日僕は歌い、演奏する。
僕、子供たち、そしてキャリル・スターン (米国ユニセフの長) - We Are Family Foundation財団の音楽ヴィデオを撮影している