今日、僕はインタビューと写真撮影の一日を過ごした。
今日、僕はインタビューと写真撮影の一日を過ごした。天国のような島で休暇中ではあるが、僕はそれでも働いている。癌に襲われて以来、僕の日々を記録しているのだ。
僕の音楽人生で一番大変なのが、写真を撮られるという事だ。ただ、それは僕の職業の大事な部分なので、それを僕はいつもただ何とか切り抜ける。僕のカメラマンは素晴らしく、彼女はそれを出来得る限り痛み無くしてくれる。
他では見つからないほど、これ(写真撮影)は遥かにより苦しむ場所だと思う。
さぁ行くぞ 1
さぁ行くぞ 2
さぁ行くぞ 3
さぁ行くぞ 4
さぁ行くぞ 5
タークス・カイコス諸島のバーのある地域での僕 1
タークス・カイコス諸島のバーのある地域での僕 2
タークス・カイコス諸島の日没のビーチでの僕
昨夜、僕は隣人である友人パトリックの別荘に行った。
昨夜、僕は隣人である友人パトリックの別荘に行った。彼はタークス・カイコス諸島で僕の隣の別荘にいるし、コネティカット州でも僕の近くに住んでいる。
パトリックは素敵なちょっとしたディナーパーティを開いた。プールサイドでのパーティの間、彼は僕に、彼が前回コネティカットで僕を見た際に、日本人が撮影していたドキュメンタリーについて尋ねてきた。僕は彼にあれはもう完成している、僕が君の為に今日のブログでまた投稿するよと答えた。
パトリックのディナーパーティのゲストたち
プールサイドのディナーテーブル
日本の撮影クルー - コネティカットの僕の家で
タークス・カイコス諸島のアマンヤラでの日没
僕は約14年前からタークス・カイコス諸島に来始めた。僕はこの場所が気に入っている。僕は、この特別な小さな群島に趣を加える、沢山の人々と会った。僕は長たらしい歴史の授業をするつもりはない。ただ、僕が知っている、同じくこの場所が気に入っている何人かの人々を列挙するだけ!
ディック・クラークはこの場所が気に入っている
プリンスはこの場所が気に入っている
デイヴィッド・カッパーフィールドはこの場所が気に入っている
ケリー・ライパはこの場所が気に入っている
ジギー・マーリーはこの場所が気に入っている
ブルース・ウィリスはこの場所が気に入っている
ポール・サイモンはこの場所が気に入っている
アーノルド・シュワルツェネッガーと、あぁ、そうだ!僕は既にブルース・ウィリスがこの場所を気に入っていると言った
ザック・エフロンはこの場所が気に入っている
僕はこの場所が気に入っている…そして
ブライアン・フェリーはこの場所がとても気に入っていて、この大晦日にギグをし、ここで結婚したばかり。ようこそ僕の友達
“ミラクル・グッドナイト”収録アルバム "Black Tie White Noise" (1993)
この数日間、僕はデイヴィッド・ボウイについて沢山考え続けていた。今までやってきた中で、一番好きな一枚のレコードは何ですかと尋ねられた時には、僕はいつも "Good Times"、 "We Are Family" そして "Let's Dance" の間で揺れ続ける。それらが僕の本当に好きなものだからというだけではなく、僕の人生に影響を与えたからだ。
僕の人生は沢山のミラクル-奇跡-に満ちている。僕の好きなレコードの幾つかは、大ヒットには決してならなかったものの、僕をとても特別な道へと動かした。今日、僕はそんな一曲を僕の頭の中で一日中演奏していた。-デイヴィッド・ボウイの“ミラクル・グッドナイト”だ。
デイヴィッド・ボウイ“ミラクル・グッドナイト”-プロデュース:ナイル・ロジャース
歌っている僕
今朝、僕は歌いながら朝食をとるべく別荘を離れた
バスター・キートンへ敬意を表し演じるボウイ
髪を梳るボウイ
“ミラクル・グッドナイト”のビデオの中のデイヴィッド・ボウイ
僕は美しい一日を終えて別荘に戻った
“ミラクル・グッドナイト”の為に僕がベッドに飛び乗る前
僕とデイヴィッド
昨日、デイヴィッド・ボウイは65歳になった。そして、僕は生きている事が嬉しい。これら両方とも素晴らしい事だ! 僕は数え切れない程の医学的緊急事態に遭ったが、殆どが行き過ぎたロックンロールなライフスタイルに起因している。
僕は17年前にドラッグを止めたが、去年進行性の癌に襲われた。僕は生きている事に本当に感謝している。
デイヴィッドと僕には沢山の、もう僕らと共にいない共通の音楽仲間がいる。僕は今、彼らのうちの何人かのことをよく考えている。だって、昨日デイヴィッドが65歳になったのだから。
デイヴィッド、スティーヴィー・レイ・ヴォーン、そして僕 - 僕らは初めLet's Danceで一緒に仕事をし、僕はスティーヴィーの最後のプロジェクト、The Vaughan Brothersをプロデュースした。
ルーサー・ヴァンドロスとデイヴィッド - ルーサーは最初からCHICにいたし、デイヴィッドの "Young Americans" に参加した。
ルーサーとCHIC - 初期のツアー
デイヴィッドとミック・ロンソン - ミックは亡くなる直前に僕らと一緒に仕事をした
ボウイと僕らのボーカルコーラス隊 - ラムヤ・アル・マグハリーはデイヴィッドの左にいる
僕、バーナード・エドワーズそしてデイヴィッド - バーナードはアルバム "Let's Dance" で演奏していて、僕の20年来のパートナーだった
トニー・トンプソンは最初からCHICにいて、そしてまた、デイヴィッドのアルバム "Let's Dance" とシリアス・ムーンライトツアーで演奏していた
昨日、デイヴィッド・ボウイは65歳になった
僕は、僕のアマンヤラの別荘に着くなり、休憩して寛いだ
僕のアマンヤラの別荘に着くなり、僕は休憩して寛いだ。今回は何年もの間で僕が本を書かずにいる初めての時間だ。そこで僕は文章量を少なくして何枚かの写真を投稿する事にした。自分がどれだけラッキーかに気づくよう、そしてこの機会をリラックスの為に使えるように!
これは僕が前回タークス・カイコス諸島にいた時のもの。僕は自叙伝Le Freakを猛烈に編集していた
去年の5月、アマンヤラのタークス・カイコス諸島でリラックス
去年の5月、アマンヤラでエクセサイズの為にカンフーのポーズをとる
去年の5月、判定の日が来て、そして去っていった。おっと!僕はどうやって見逃したんだ?
僕の別荘のちょうど隣にある、僕の友人パトリックのアマンヤラの別荘
アマンヤラにて、パジャマ姿で朝食をとろうとするところ
”Once”を観に行く為のウエストポート駅で
昨夜、僕は "Once" というショーを観にニューヨークのイーストヴィレッジに行った。それはアカデミー賞受賞の映画 "Once" を元にしたものだ。ショーの中のミュージシャンは僕の古い友達、ロブ・プレウスだ。
ロブはかつて "マンマ・ミーア" の音楽監督だった。彼はまた(その前は)、僕がプロデュースしたSpoonsというカナダのバンドにもいた。トロントでSpoonsと仕事をしている間、僕はバンドINXSと会い、"Original Sin" をプロデュースした。ロブと僕はそれ以来友達だ。
"Once" は素晴らしいはずだったが、僕はそれを観なかった。というのも、昨夜が一度限りだったのがキャンセルになったからだ。そのショーを率いる "ガイ" が病気になってしまったのだ。僕はコネティカットから空っぽの舞台セットまでの往復120マイルの旅をした。そのショーはブロードウェイに行くので僕はそれをまた観ようと企てている。一度(Once)じゃ十分じゃない。
Spoons “Tell No Lies"- プロデュース:ナイル・ロジャース
INXS "Original Sin"- プロデュース:ナイル・ロジャース
"Once" というショー
ブロードウェイの "マンマ・ミーア"
僕がやったSpoons "Talkback" のアルバム・カバー(ジャケット)(1983)
INXS "Original Sin" (1984)
"Once" の空っぽの舞台セット
“Once”というフィルムは一度(Once)じゃ十分じゃない。
僕の家からアストアプレイスまで約60マイル
そしてまたコネティカットのウエストポートに帰る為に60マイル
昔のロブ・プレウス - 彼は右側のヤマハDX7キーボードのところにいる
“立て、君は自由だと分からないのか。まぁ、少なくともそう君が望めば、心の中では。立て、立て、立つんだ!
~ スライ&ザ・ファミリー・ストーンより
“立て、君は自由だと分からないのか。まぁ、少なくともそう君が望めば心の中では。立て、立て、立つんだ!
~ スライ&ザ・ファミリー・ストーンより
この言葉は、「僕のインスピレーション」というHMVキャンペーンの為に僕がやったポスターの中のものだ。沢山の人、場所、そしてものが僕にひらめきを与える。
僕はこの歌詞を選んだ。なぜなら、僕が一年前進行性の癌に襲われた時、僕は僕の目の前にある長く威圧するような道程に立ち向かう為にインスピレーションが必要だったのだから。癌は僕を欲したが、僕は自由になりたかった。
僕は自分自身を概してかなりポジティブで感謝深いと思っている。だた、僕らは皆、ちょっとばかり特別なインスピレーションを時折働かせる事が出来る。僕は、全て癌が無いという(結果が出た)3度の術後の検査を受けたが、僕は二度と人生を当然のものだとは思わない。僕は触発されたのだ。
僕は毎日がまるで僕の最後の日だというように、挑戦して生きると約束する。何故なら、ある日、それは来るのだから。立て、立て、立つんだ!
僕の母は僕を元気づけた。特に昔々に
僕のミュージカル「ダブル・タイム」に取り組むことは僕を元気づける
“自由でいよう”というベルリンの壁の欠片はひらめきを与えている
僕にひらめきを与えてきた状況についての話を分かち合う
スタジオ54でのスピーチをすることがひらめきを与えた
ミーティングの為に僕はアパートを出る。
僕は昨日ニューヨークで幾つかの素晴らしいミーティングに出た。一つはイスラエルのジャーナリストとのものだった。これは、僕のWe Are Family Foundation 基金のチャリティプログラムであるThree Dot Dashの、グローバル・ティーン・リーダーであるマハームドのおかげでユニークなものとなった。彼はパレスチナから到着し、彼らは両方とも同じ新聞をテーマにした。驚くべき偶然だ。
インタビューの途中のある時点で、そのリポーターは僕に癌について、そして、(それについて)どう僕が感じているか尋ねた。僕は僕の散歩療法について、そしてそれが昔のナイルが戻ってきているように如何に僕に感じさせるかを語った。僕はそれをただ楽しみだと思っていた。僕はリビングルームから(出て行って)、そして家に帰って来てマハームドを見つけるまでの僕の旅の写真を見せよう。僕はそれを比喩的に、ここにいて、また戻る。と呼ぼう。
僕のロビーから出掛ける
ブロードウェイを渡る
カフェ・ルクセンブルクに着く
カフェ・ルクセンブルク
ブロードウェイを越えて戻って来る
カフェ・ルクセンブルクから戻って来る
エレベーターに戻る
リビングルームに戻る
僕が戻った後、僕のニューヨーク・シティのアパートで寛ぐムハーマドと僕
この季節で一番寒い日に、ニューヨーク・シティ行きの電車を待つ
今日はこの冬で一番寒い日だった。僕は、寒空は嫌いだけれど、このところの気候はいつもになく暖かだったから、この方が冬らしさを残していて良い。
僕は僕の次のプロジェクトを計画中だ。約一年前に癌に襲われて以来、人生(命)は今までより一層重要になった。この24時間、何十とあったインタビューや会議は全てうまく行った。この新たな年は驚くようなスタートを切った。
この季節で一番の寒い日に僕のベッドから起き上がる
WBAIでのハリー・アレンとのインタビューをする為、ウォール・ストリート120番地に陣取って数時間を過ごした
僕がランチを一緒にとった劇場プロデューサー、 ロバート・フォックス。そして一緒にこの季節で一番寒い日に散歩をした。
ニューヨーク・シティへの通勤電車に乗って - 驚くべきスタートのパート1だ