Wednesday, October 30, 2024

-惑星Cを行く[C: cancer、癌]-

I Can't Help Some Crazy Things I Do

February 23, 2012


僕はプロデューサーとの会議の為、ニュー・ヨーク・シティの僕のアパートに行かなくてはならなかった

去年癌と診断されて以来(書き始めた)、生きていることを祝う僕の毎日のブログへの沢山の初訪問者は、僕が自分自身の為に一日中歌っていることを知らない。

昨日僕は僕が作曲しているミュージカルのプロデューサーとの会議の為、ニュー・ヨーク・シティの僕のアパートに行かなくてはならなかった。出がける前に、僕はお気に入りの白いスニーカーを家じゅう引っ掻き回して探した。季節はずれの暖かさだったので、僕はそれを冬の間ほぼずっと履いていた。僕は前の晩それを脱ぎ散らかし、そしてどこにやったのかを思い出せなかった。

僕は写真を撮っていった。何故ならそれはどこかとんでもない場所にあると思ったし、それを詳しく記録してハウスキーパーに見せたかったからだ。僕は僕が見たものや僕の頭の中にパッと飛び込んでくる、その場を際立たせる曲にいつも影響を受けている。奇妙なことだが、僕は(そんな)おかしなことをするのをやめられない。


リビング・ルームはピカピカだった。スニーカーの影も形もなく、僕はルーサー(・ヴァンドロス)・バージョンの "House Is Not a Home" を歌っていた。


アジア人形の部屋にもスニーカーはなかった - 僕はまだルーサーの曲を歌っていた


ジムはピカピカだった - 僕はテクノトロニックの "Pump Up the Jam" を歌っていた


ゲスト用の寝室にスニーカーがないのは判っていた。でも、ジムに近かったので、とにかく調べた


スニーカーが台所テーブルの下にあったのを見つけて、僕はロイ・エアーズの "Running Away" を歌い始めた。そして、ニュー・ヨーク・シティへ向かった


会議の途中、吊り台に乗った(ビル掃除の)作業員が降りてきて、僕の(横の)窓を過ぎていった


僕は外に走り出し、スライ&ザ・ファミリーストーンの "(I Want To Take You) Higher" を歌いながらその作業員のスナップ写真を撮った


家に帰る時、僕はスタジオで作業中のマーク・ロンソンからEメールを受け取った


僕はマークを、彼が小さい頃からほぼ知っている - 僕の家にいる彼、ずっと昔の事

CHIC、ルーサー・ヴァンドロス、ロイ・エアーズ、インエクセス、ホール&オーツ、ティナ・アリーナ、そしてその他沢山

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I'll Sneak In a Live Song or Two

February 22, 2012


何日かの内に、僕はCHIC Organizationと初のオーストラリアにいることになる

何日かの内に、僕はCHIC Organizationと初のオーストラリアにいることになる。僕はすっかりわくわくしていて、何か違ったことをしたいと思っている。いつこんな機会が別にまたくるのか判らないし、僕は旅を思い切り楽しむつもりだ。

僕はこのコンサートと本のツアーを組み合わせたい。僕には、人々に僕がどんな人間で何故音楽をやっているかという理解を与える自叙伝がある。僕はアシッド(LSD)をティモシー・レアリー博士とやったことや15歳の頃にフランク・シナトラのプライベート・ジェット機を掃除していたことから、アポロシアターでの僕の初期のキャリア、そしてCHICの成立の前と後の人生まで全てを話す。

これは大いに納得がいくような印象を与える。ここで問題だ。本のツアーはタダなのだ! 典型的に、メディアビジネスでは一つの会社は他の会社の利益の促進を助けようと思わないし、僕はそれを理解している。

昨日、僕は少なくともそれを試してみようと決めたが、驚いた事に皆が応援したがってくれた。僕の本の、無料ツアー -僕が1~2曲の生演奏を忍び込ませる- の案内が楽しみだ。

CHIC、デヴィッド・ボウイ、デュラン・デュラン、マドンナ、インエクセス、ホール&オーツ、ティナ・アリーナ、そしてその他沢山


この本の中で、僕はデヴィッド・ボウイ、デュラン・デュラン、マドンナ、インエクセス、ホール&オーツ、ティナ・アリーナ、デイヴィッド・リー・ロス、グレース・ジョーンズ、スティーヴ・ウィンウッド、トンプソン・ツインズ、ブライアン・フェリー、シンディ・ローパー、そしてその他沢山の人について語っている


80年代当時のCHICツアーブックにサインする


僕の初めての本のイベントにて - カイル・マクラクラン、アンジェラ・イー、僕、ゲイル・キング


LSD、ヒッピーのグールー、ティモシー・レアリー


僕が何度も掃除した、フランク・シナトラのリア・ジェット機


最初の頃の、僕が1~2曲の演奏を忍び込ませた無料ライブの本のイベント


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I Do The Best That I Can Do

February 21, 2012


最近のツアーでアリソン・モイエと魅力的な友人関係を育んだ

ツアーに出ると、たくさんの魅力的なことが起こる。それは大体演奏だったり、出会う人達だったりする。僕はオーストラリアに行く準備をしていて、それはCHICにとっては初めてのマーケットとなる。

僕がプロデュースした6つのナンバー1シングルや、数え切れない更にたくさんのトップ・ポップ・アルバムがヒットしている国、地球の裏側であるその地で、僕は基本的に見知らぬ人間だということが僕は信じられない。これは多分に、僕らの音楽がスターである一方で、CHIC Mystique(CHICの神秘性)という、名前が表に出ない、僕らの独特な音楽的コンセプトに起因することだ。

僕は決してスターダムを追い求めてこなかった。なぜなら、僕にはそれが(体に)馴染まないスーツのように感じるからだ。

全ての人生において僕はスターの周辺にいた。それは彼らが部屋に入ってくるだけで判る。マドンナはスターだ。デュラン・デュランはスターだ。デヴィッド・ボウイはその一人だ。ダイアナ・ロスとミック・ジャガーもそうだ! 僕はジョン・ケネディ・Jr.やプリンスのようなスターの友達と一緒に部屋に足を踏み入れてきたが、傾いたボートのように部屋の重みが(彼等の側に)移動するのを大体感じることが出来る。全く一瞬のうちに、訪問者である彼等は、その部屋の僕らの側(彼等以外の部分)を不均一に占領し始める。それがスター達のリアリティだ。

人がスターであろうとなかろうと、全ての事は人生の中で期待するようには決していかない。僕は癌が自分を襲うことになるとは決して思っていなかった。だが、ある日、それは起こった。(それと同様に、)僕のオーストラリアでのショーの1つがキャンセルされるとは僕は決して思っていなかった。しかし、昨日、それは起こった。

良い知らせで僕らが何をしようとも、それは大した試金石にはならない。悪い知らせで僕らが何をするかがそれになる。

物事の範囲の中で、ツアーの中の1つのショーを失うことは災難ではない。僕らには残りの5つがあって、僕は不平を言って時間を無駄に費やしたくない。ソウルのゴッドファーザーであるジェームズ・ブラウンはそれを最高にうまくまとめた。"君の最後の1ドルを賭けてもいい、君は俺の泣き言を聞くことは決してない。俺は出来る範囲でベストをつくす!"


僕とジェームス・ブラウン - ソウルのゴッドファーザー


マドンナはスターだ


デュラン・デュランはスターだ


デヴィッド・ボウイはその一人だ


ダイアナ・ロスとミック・ジャガーもそうだ!


スターの友達、ジョン・ケネディ・Jr.やプリンス


僕らが最後に行ったツアー時、一連の魅力的な演奏のリハーサルを僕らがしているところ


又とない貴重な演奏を一緒にしている僕、Q-TipそしてGZAと一緒のCHIC Organization


ツアーでクールな子供達と会う


1985年ビルボードのトップ・ポップ・シングル・アウォード


CHIC Mystique(CHICの神秘性)を確立した、モデルを使った僕らの "CHIC(邦題『ダンス・ダンス・ダンス』)" オリジナル・アルバム・カバー


シドニーのオペラ・ハウス


スターのバックを務めることは、僕にとってはより自然に感じる


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The Most Precious Gift We Could Give

February 20, 2012


ローマで何人かの友人達と共にあげることが出来た、一番大事な贈り物を分かち合う

僕の人生の間にライブコンサートでの経験においてとてつもない変化があった。僕が子供だった頃、ほぼ全員がポピュラーなヒット曲を散りばめた新しい音楽を演奏するアーティストを聴きに行っていた。多くがそのアーティスト達が取り組んでいるか、ちょうど録音したばかりの曲で構成されたものだった。ライブショーは新曲に対する観客の反応をみる良い機会だった。

(しかし)最近の時代精神の中では、アーティストが知らない曲を演奏する時、多くの人がこの時間をお手洗いに行くのに使ってしまう。僕らの時間は知らないことを経験するには余りにも貴重になり過ぎたのだろうか?

昨日僕は、ミュージシャンのピーター・フランプトンのTVスペシャルを観た。彼の1976年のアルバム、"フランプトン・カムズ・アライヴ" は1800万枚以上売り上げてプラチナレコードとなった。それはライブアルバムで、それが演奏され、録音されるまで世界中の殆どがこれらの曲を聴いたことがないというものだった。 今日、そんな事は決して起こらない! だが、それはそこに集まった我々の耳をアーティストに貸す(与える)時間が、僕らがあげることが出来た一番大事な贈り物だった頃の話だ。


"フランプトン・カムズ・アライヴ" はアメリカだけで1800万枚売れた!


僕は、新しい曲をジミ・ヘンドリクスがライブで演奏するのを見た


僕は、新しい曲をスライ&ザ・ファミリー・ストーンがライブで演奏するのを見た


僕は、新しい曲をジャクソン5がライブで演奏するのを見た


僕は、新しい曲をマハヴィシュヌ・オーケストラがライブで演奏するのを見た


僕は、新しい曲をパーラメント・ファンカデリックがライブで演奏するのを見た


僕は、新しい曲をマイルス・デイヴィスがライブで演奏するのを見た


僕は、新しい曲をストゥージスがライブで演奏するのを見た


CHICの初期のツアーで - 僕らの音楽の殆どが知られておらず、それは僕らがあげることが出来た一番大事な贈り物だった。


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So Little Time

February 19, 2012


去年のCHIC Organization日本(ツアー)での曲目リスト

僕は2週間しない内にやってくるオーストラリアでのショーの為の曲目リストをまとめている。僕は数曲加えることを考えている。何故ならそれらは地球の反対側(であるその地)で何週もナンバーワンシングルとなっているからだ。

世界中で、殆どの人々は僕が関与してきた音楽が何かを知らずにいる。多分、このツアーが ”僕を知る” ツアーとして役立つだろう。だって、これは僕の初めてのオーストラリアでの演奏だからだ。

僕を知る一番の方法は僕の自叙伝 Le Freakだし、僕は本とコンサートツアーの組み合わせることを考えている。

僕はプロモーターと出版社に手紙を書くつもりだ。もし彼らが先入観に囚われず、僕がどうにかして、これを僅かな時間で上手くやり遂げることが出来るか、という事を確かめたいのだ。



CHIC “Le Freak(邦題: おしゃれフリーク)”-オーストラリアで5週間第1位



ダイアナ·ロス”Upside Down”-オーストラリアで4週間第1位



INXS “Original Sin”-オーストラリアで2週間第1位



マドンナ”Like A Virgin”-オーストラリアで5週間第1位



マドンナ - “ Angel/ Into The Groove”- オーストラリアで4週間第1位(※ナイルは"Angel" をプロデュースした)




デヴィッド·ボウイ/ミック·ジャガー” Dancin in the Streets -オーストラリアで2週間第1位


一緒に演奏するCHIC Organizationとシール - 僕達の最新のツアー


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Panther Baby

February 18, 2012


ジャマール・ジョゼフと「Panther Baby(パンサーの申し子)」のイベント

僕はハーレムで昨夜まれにみる夜を経験した。僕の生涯にわたる友人、教授のジャマール・ジョゼフが本の発表イベントを行い、彼の自叙伝 "Panther Baby(パンサーの申し子)" の為の講演をしたのだ。ジャマールと僕はふたりとも同じ時期にブラック・パンサー・パーティー・フォー・セルフ・ディフェンス(*1)のハーレム支部にいた。

(*1-ブラック・パンサー党は当初この名で結成されている)

ジャマールはアフィーニ・シャクール(トゥパックの母)や他の19人と共に、有名な「パンサー21裁判」(*2)に一枚かんでいた。長期にわたる "21" の裁判の後、全員が無罪となった。

(*2-1970年、21人のブラック・パンサー党員がNYで警官の殺害とビルの爆破を企てたとして逮捕された事件とその裁判をさす)

ジャマールはアカデミー賞のノミネート経歴をもち、現在はほまれ高いコロンビア大学の映画学校の主席教授だ。彼はまた、熟練した劇作家、詩人、スポークン・ワード(詩の朗読)の芸術家でもあり、IMPACTレパートリー・シアター(*3)の創始者でもある。

(*3-Inspiration,Motivation,Preparation,Activism,Commitment,Teamworkを理想に掲げる芸術集団。十代の若者の芸術活動をサポートしている。1997年設立)

彼のイベントで、僕は長い間会ってきたよりも多く、僕の子供の頃からの知り合いに会った。キャサリン・クリーヴァー;ブラック・パンサー党の元通信相であり、党の中で最も高位の女性で、現在は法学教授で作家。フェリペ・ルチアーノ;Last Poetsの伝説的メンバーであり、Young Lords(パンサーのラテン系同志)の元会長、作家、そして二度のエミー賞受賞のネットワークキャスター。レジー・ルーカス;革新的ギタリスト、ソングライター、レコード・プロデューサー、マイルス・デイヴィス・バンドの元メンバー、学生時代の友人、マドンナのファースト・アルバムの共同プロデューサー。

そこは僕がパンサーの申し子だった16歳の頃から知っている人々で一杯だった。


ヴァーモントのバーリントンにあるヴァーモント大学の芝生の上で「ブラック・パンサー21」の裁判事件について演説するジャマール・ジョゼフ - 1971年


トゥパック&アフィーニ・シャクール


キャサリン・クリーヴァー;ブラック・パンサー党の元通信相


右側フェリペ・ルチアーノ(右) - Young Lordsの会長として


ジャマール・ジョゼフ- 彼が受賞したIMPACTレパートリー・シアターのパフォーマンス中のひとこま


昔々のレジー・ルーカス


僕がパンサーの申し子だった16歳の頃から知っている人々で一杯の部屋


この撮影の1年後、僕は16歳になり、ブラック・パンサー党に加わった


マドンナのシングル曲 "ボーダーライン" - 作曲とプロデュースはレジー・ルーカス


二度のエミー賞受賞歴をもつジャーナリスト、フェリペ・ルチアーノと僕、"パンサーの申し子" イベントにて


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The Best Cry-er I've Ever Worked With

February 17, 2012


1984年のデモより

僕は僕の古いソロアルバムの、作詞作曲をしたデモを一日中聴いて過ごした。僕は危うく打ちのめされそうになるとても沢山のデモを持っている。ずっと昔、僕はどんな曲をアルバムに入れ込むかを決める前、大量のアイデアを録音したものだった。

僕はバーナード・エドワーズが演奏している曲を見つけた。僕はこれらの曲を今日まで忘れていた。僕はアルファ・アンダーソンがバックシンガーとして歌っているデモも見つけた。

僕はバック・ヴォーカルを大きなグループとしてステレオ音声の一組にして録音していたが、それでも僕はアルファの独特な声、ルーサー・ヴァンドロスが「泣いている」と表わした響きを聴き取る事が出来る。バック・ヴォーカルのオーヴァーダブ・パートを空気の様に聞かせようと僕が使う(ミックス上の)テクニックで、(アルファのそれは)殆ど子供のような声だ。アルファは今まで僕が一緒に仕事をして来た中で最高のクライヤー(泣き歌いの名手)だ。


1984年の別の一組のデモ


非凡なベース奏者、バーナード・エドワーズ、そして僕-80年代


僕らの80年代のツアーブックの中のアルファ・アンダーソン


僕は危うく打ちのめされそうになるとても沢山のデモを持っている


アルファと演奏する僕-今まで僕が一緒に仕事をして来た中で最高のクライヤー(泣き歌いの名手)


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Le Freak Last Night

February 16, 2012


昨夜、僕は僕の自叙伝Le Freakの朗読に招待された

僕は昨夜の殆どをニュー・ヨーク、マリタイム・ホテルのヒロ・ダンスホールで過ごした。僕は親愛なる友人、そして一流の作家であるアンソニー・ヘイデン=ゲストの支援の為に、僕の自叙伝Le Freakの朗読に招待された。

作家であるアンソニーは、朗読を娯楽として見ている。彼が読む時がそうだ! 彼は素晴らしい周知の朗読家であり、彼は秘密兵器 - 英国のアクセントを持っていた。僕はと言えば、グリニッジ・ヴィレッジの中心にあるその会場から、数ブロックだけしか離れていないところで育った。

僕の自叙伝Le Freakを朗読する代わりに、僕はそれを音楽で強調しながらまとめた。僕は昨夜、Le Freakの聴覚的要約をしたのだ。


受賞作家、アンソニー・ヘイデン=ゲスト


デビー・ハリーがアンソニーの支援の為に姿を現した


僕はLe Freakを音楽で強調しながらまとめた


僕は昨夜、Le Freakの聴覚的要約をした


アンソニーを支援する為姿を見せたアーティスト達


僕は昨夜の殆どをニュー・ヨーク、マリタイム・ホテルのヒロ・ダンスホールで過ごした


僕の仲間の他のアーティスト達が姿を見せる前のヒロ・ダンスホールの中心の場所


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There's Something Funky Brewing

February 15, 2012


僕はほぼ40時間ぶっ続けでレコーディングをしていた

自分でも信じられないが、僕はほぼ40時間ぶっ続けでレコーディングをしていた。昨日僕は午後1時頃に2時間程眠りに落ちたが、それだけだった。僕はとてもインスピレーションを受けた。君に明日詳細な報告をしよう。僕がただ言えるのは、何かファンキーなことが起ころうとしているという事だ。


僕はこれを少しばかり使った


そしてこれを少しばかり使った


これを幾つか付け加えた


そしてこのバッドボーイもちょっと使った!僕が持っている最高のレスポールの一つ


ル・クリブでリッチ・ヒルトンと僕。僕は音楽をやっている時は天国にも昇るような気持ちだ


スタジオの北側の壁。(右側の)ディアンジェリコ(・ギター)のポスターを見つめる以上にインスピレーションが溢れる事は他に無い


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My Plexiglass Guitarman

February 14, 2012


CHICのライブショーの働き者を弾く僕 - 僕のプレキシグラスギターマン

僕のバンド、CHICはパワー・ステーションというスタジオととても近しく関わっている。なぜなら、僕らはそこでアルバムを録音した最初のアーティストなのだ。その上、僕らは全てのCHICのアルバムをそこで録音した。だが、僕らの最初のシングル "ダンス・ダンス・ダンス" はジミ・ヘンドリックスが建てたスタジオであるエレクトリック・レディ・スタジオで録音された。

僕はそこでINXS、ホール&オーツ、ディアンジェロ、クエストラブそして他 の沢山の人たちと仕事をした。だから、エレクトリック・レディに戻ることは自然に感じる。また、CHICのライブショーの働き者、僕のプレキシグラスギターマンでレコーディングするのもとても自然だと感じる。


INXS


ディアンジェロ


プレキシグラスギターマンと共にエレクトリック・レディへの僕の帰還


僕のプレキシグラスギターマンを弾く、僕の人生で最も素晴らしい日々の一つ


僕らの最初のシングル "ダンス・ダンス・ダンス (Yowsah, Yowsah, Yowsah)"


僕のプレキシグラスギターマンで(壁の)エレクトリック・レディを引き剥がす


僕のプレキシグラスギターマンの帰還でファンクは健在だった


正式な引退の撤回と、ツアーへの復活-僕のプレキシグラスギターマン


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