メリル・ストリープと僕 - 彼女は昨夜カーネギー・ホールで素晴らしく歌った
昨夜は最高だった。僕はレインフォレスト・コンサートで演奏するのが好きだ。それは素晴らしいイベントで、僕はスティングとトゥルーディに別の素晴らしい夜の為にブラボーと言う。そのショーにはいつも沢山の興味深い人々がいる。参加者だけではなく、訪れた人々の何人かもだ。僕がプロのミュージシャンになる前でさえ、僕の全ての人生で僕はスターの周りにいた。僕はクリントン大統領が転がり込んで来た時、とても感銘をうけたことを認めなくてはいけない。
今年のアーティスト達はとても力があり、ショーには皆の為の何か素晴らしいものがあった。オペラのスーパースター、幻想的なダンス、そしてメリル・ストリープはかなり難しい曲 - 彼女は確実にこなした - を歌った。ここに無作為に写真を何枚か掲示しよう。
唯一無二のエスペランサ・スポルディングと僕
ジャレッド·シャーフ(Saturday Night Liveのギタリスト)、僕そしてウィル·リー(デヴィッド·レターマン[・ショー]のベーシスト)
トム・ハンクスと僕さらにもう一つのコンサートにて - この時、彼の妻リタ・ウィルソンも演奏した
リタ・ウィルソンと僕 - 僕は彼女が歌った事を知らなかった。彼女は友達だ。人は何か新しいものを見つけるものだ。
僕の流儀で、全ての演奏者達にサインをして貰う僕のギター。何故なら、これはまさに、多分二度と集う事のないグループだからだ。
2004年からの僕のレインフォレストのバックステージ・パスと他のサインされたギター
ジェームス・テイラー、メリル・ストリープ、エルトン・ジョン卿、そしてスティングがオズの魔法使いのキャラクターとしてまさに出てきて演奏しようとしている
僕の、2010年レインフォレストの予備のギター
トゥルーディ、エルトン、そしてメリルがフィナーレに取り組んでいる
昨日はスティングのチャリティの為の資金集めのイベント、セーブ・ザ・レインフォレスト・ベネフィット・コンサート(熱帯雨林を救え慈善コンサート)の為の僕達のリハーサルの二日目だった。彼の妻、トゥルーディ・スタイラーはいつもコンサートをプロデュースしていて、そしてそれはいつも素晴らしい。
これらのコンサートは僕の習わしとなっていて、僕はいつも演奏者達と曲の興味深い融合を楽しみにしている。僕はまた、僕のイベントの思い出としてギターの一つに全アーティストのサインを集めている。何故なら、全く同じ演奏者達のグループは決してひとつの舞台に二度と集わないだろうからだ。
毎年、素敵な思い出があり、そして今年も例外ではなかった。つまり、何度メリル・ストリープがオーケストラで歌うところを、もしくはリタ・ウィルソンがヴィンス・ギルとデュエットするところを見る事が出来るか、という事だ。
今年、エルトン・ジョンとブルーノ・マーズが、エスペランサ・スポルディング、ジェニファー・ハドソン、ジェームス・テイラー、ロザンヌ・キャッシュ、ブリン・ターフェルが、チャニング・テイタムによる一流のダンス・ナンバー、そして勿論マルチな才能を持つスティングと共に会場を揺り動かすだろう。
毎年僕達の音楽監督はナラダ・マイケル・ウォルデンであり、僕達のバンドとコーラスは本当に同じ顔ぶれだ。それはいつもとても素晴らしい!
スティングとエスペランサ・スポルディング
ジェニファー・ハドソンが "paint off of the walls" を歌っている
二人のストラット(遣い)の男たちが "Diamonds Are A Girl's Best Friend(ダイヤモンドは女の子の一番の友達)" を演奏している
ジェームス・テイラーとオーケストラ
ジェニファー、ブリン、リタそしてヴィンスがフィナーレを練習している
リハーサル中のブルーノ・マーズ
僕達のホーン(管楽器)・セクション
レインフォレスト(コンサート)のギター・セクション
2日の内に、僕はスティングとカーネギー・ホールで演奏する。彼のセーブ・ザ・レインフォレスト・ベネフィット・コンサート(熱帯雨林を救え慈善コンサート)を行う(手伝いをする)ことは僕の人生の習わしとなった。エルトン・ジョンも僕が行ってから毎年行なっている。ジェームス・テイラーもそこで殆どの年行なっている! 僕は以前からずっと僕のもう一つの家族達となったミュージシャンのエリート・グループと繋がることが好きだ。
今年のゲスト・アーティストの何人かはブルーノ·マーズ、メリル·ストリープ、ヴィンス·ギル、ジェニファー·ハドソン、チャニング·テイタム、ロザンヌ·キャッシュ、そしてブリン·ターフェルだ。スティングの妻でショーのプロデューサーであるトゥルーディ・スタイラーは多岐に渡る、種々のそして興味深い演奏者達の一座を必ずまとめ上げる。
スティングとトゥルーディは気持ちを大事にする。僕が、自分が癌に襲われたと気付いた時、僕に手をさしのべてくれた最初の人々がデヴィッド·ボウイ、スティング、トゥルーディそして僕達のレインフォレスト音楽ディレクターのナラダ・マイケル·ウォルデンだった。ナラダと僕は昔からの知り合いで、彼は僕が知る最も才能にあふれる人々の一人だ。
素晴らしい長い日が終わった - そして今、僕の頭はショートしている
僕は今までで一番長い日を過ごし、そして僕達はコンサートを行った。僕はただ一連の写真を無作為に掲示するつもりだ。何故なら、僕の頭は(それらの出来事の為に)ショートしているのだから。
昨日、僕はWBCS-FMのジョー・コージー・ショーを含むマスコミ遊山をした
昨日、僕はWBCS-FMのジョー・コージー・ショー、WBAIのハリー・アレンのノン・フィクション・ショー、そしてグッド・モーニング・ニュー・ヨークTVショーを含む、マスコミ遊山をした。ジャーナリストの皆が歓待してくれ、彼ら独自のスタイルで教訓的だった。
ジョーはダンス・ミュージックの百科事典だ。ハリーは内観的で、CHIC Organizationの音楽とのユニークな繋がりを持っている。ロザンナ・スコットとグレッグ・ケリーは陽気で、準備が行き届いていて、純粋に楽しい時を過ごした。ロザンナはCHICが何曲か演奏した時、振付師で、ダンサーで、TVのパーソナリティであるデニー・テッリオとハッスル - 70年代のダンス - を踊ったほどだった。
僕がそれらの曲を演奏する準備をしている時、共同ホストであるグレッグが僕に "Le Freak" の原点について一つ質問を訊いてきた。僕は、マイクを取り付ける途中だったから、僕らが生放送中だとは思っていなかった。
僕の答えは、あっちへ行け(f-off)と言われると同時にスタジオ54から拒否された話だった。僕ははっきりとさせたかったので、彼にその用心棒の(言った)そのままの言葉を言った。僕は "彼は僕達に失せろ(原語での表現は、卑語を含む放送禁止用語)と言ったんだ " と言った。僕は普段口汚い言葉を使わない。だが、僕がそれを口にした、滅多にない時、それはTVの生放送中だったのだ。
僕は普段口汚い言葉を使わない。だが、僕がそれを口にした、滅多にない時、それはTVの生放送だった
ジョー・コージー・ショーでのデニー・テッリオと僕
ジャーナリストのハリー・アレン
グッド・デイ・ニュー・ヨークのセット
ロザンナ・スコットとグレッグ・ケリーは陽気で、準備が行き届いていて、純粋に楽しい時を過ごした-僕とデニー・テッリオはすっかり楽しんだ
ロザンナは僕達が何曲か演奏した時、デニー・テッリオとハッスル-70年代のダンス - を踊ったほどだった
テレビの生放送でCHICについて語る
テレビの生放送で演奏する
テレビの生放送中のフォラミ
テレビの生放送中のキム
テレビの生放送中の僕
らインターナショナルなティーン達を呼び集める時、僕は地球上で一番幸運な人間のように感じる。
今日はジャスト・ピース・サミットの正式な終了の日で、音楽のプロジェクトに戻る正式な始まりの日だ。明日、僕はTEDティーン版を朝に。そして、ハマーシュタイン・ダンスホールでの伝説のディスコ・コンサートが続く最高のもてなしの本のサイン会を行う。
次の日、カーネギー・ホールで火曜に行われる「熱帯雨林を救えコンサート」の為のリハーサルが始まる。次の週は、僕は春/夏ツアーの季節の始まりである日本に飛ぶ。今年、僕達はバーナードと僕がCHIC Organizationを結成して以来どの暦年にしたよりも、もっと沢山のコンサートをする。
そして僕は僕のミュージカル、"ダブル・タイム" の為のリハーサルに入り、そしてまた別の大きなミュージカル/映画のプロジェクトに取り組む。この全てを通して、癌の亡霊が常に不気味に迫るけれど僕は毎日のブログを書き続ける。
僕は癌の無い(ままで)一年ちょっと(の日々)を過ごした事にまさしく気付いている。僕が為した選択は、僕にとって大いに重要だ。何故なら、僕は僕の人生の日々をそれらと交換しているのだから。物理的、技術的そして記号論的なあらゆる困窮と共にあろうとも、僕は地球上で一番幸運な人間のように感じる。
2011年TEDティーン版のホスト、トゥーレ
レインフォレスト(熱帯雨林)・オーケストラの広角撮影
カーネギー・ホールの舞台裏の看板
東京への飛行計画
CHIC Organization LTDのボックス(・セット)
僕のミュージカル、"ダブル・タイム" の曲のリハーサルをする俳優たち
???大作のミュージカル/映画プロジェクト???
メルボルンの緊急治療室での僕の写真 - 癌の亡霊が常に不気味に迫る。これはほんの数週間前の事だった
地球上で一番幸運な人間!
昨夜は、ジャスト・ピース・サミットの「ニュー・ヨーク・シティで楽しくやる夜」だった!
昨夜は、ジャスト・ピース・サミットの「New York City Night Out (ニュー・ヨーク・シティで楽しくやる夜)」だった! 僕達がいつもティーン達を楽しい夜に招待するから、ワークショップはとても集中してハードだ。ここ数年、僕達は伝説的なビター・エンド・ナイトクラブを使っている。僕は、イベントの一翼を担う皆に、心の底から真心を込めて感謝している。
昨夜のプログラムは即興劇、フリースタイルのダンス、ビート・ボクシング(口でのパーカッション)、フリースタイルラップ/歌/お喋りの言葉、インパクト・レパートリー・シアター、そしてフィナーレとして僕の曲 "We Are Family" まで全ての分野を組み合わせた自由なパフォーマンスを含むものだった。それは驚くほど素晴らしいニュー・ヨーク・シティの楽しく出掛ける夜だった!
ティーン達
更にティーン達
そして更にティーン達
そしてもっと更にティーン達
フル・サークル・ダンスの面々
レディ・ガガはビター・エンドで始めた(僕もそう)沢山のパフォーマーの一人。
インパクト・レパートリー・シアターのリハーサル
子供のビート・ボクサー(人間打楽器)”サイエンス”がリハーサルの間コンピュータ相手にチェスをしていた
ビター・エンドの舞台裏からリハーサルでのロング・ショット
リハーサルのスナップ写真
誰かが拳を握って挙げると、グループが彼らの集中した注目を与える
サイエンスがインパクトがリハーサルの為にステージに来る間、いつもの演目に取り組んでいる
僕とヴォーカリストのジェイ・ワッツ
集中したフィリースタイルな歌い方とビート・ボクシング
インパクトのカーディムとフル・サークルのロッカフェラ
ロッカフェラが彼女の好きなようにしている
フル・サークルは丁度New York City Night Out の為のリハーサルを終えるところだった
New York City Night Out はビター・エンドで行われた
ところで、僕が子供の頃、僕の父は左のビルの窓から飛び出した - それは昔々のニュー・ヨーク・シティで楽しくやった日だった
トライベッカ映画フェローズ達とスリー・ドット・ダッシュのGTL達
今日、僕達のWe Are Family基金スリー・ドット・ダッシュプログラムのグローバル・ティーン・リーダー達(GLTs)がトライベッカ映画協会のトライベッカ映画のフェローズのプログラム(十代を対象としたもの)からの彼らのカウンターパート(半数)と一緒に集まった。
僕達のGTL達はジャスト・ピース・サミットの為に街にいる。GLT達は世界中から何百マイルも旅をしてきた。ほら、見て!
2012年GLT達と会う
2012年のGTL達とゆっくりする
僕達のジャスト・ピース・サミットの間、僕は今週の殆どを2012年のグローバル・ティーン・リーダー達(GTLs)と過ごした。それはWe Are Family基金のイニシアチブの一つの機能であるスリー・ドット・ダッシュと呼ばれるものだ。世界中から集まったティーン達が、1年間のメンタリング(導く)・プログラムの為に一丸となっている。そのゴールは彼らの個々のチャリティ・プログラムに利する為の持続可能性、拡張性そしてメディア(コミュニケーション)・トレーニングだ。
僕はプログラムのファシリテーター(世話人)ではないので、全てのコースに飛び入りし、ノートをとったりGTL達の質問に答えたりする。セッション(の種別)に関わらず僕が圧倒されて気付く一つのことは、グループの協力が全体となり、部屋の中には沢山の愛があるということだ。
ナタリー・ワーンとリサ・ルーカスが "社会メディア - 情報の時代" を率いる
社会メディア・セッションでのGTL達
GTL達がレイチェル・チョン(キャッチアファイヤー)、セレステ・ボトロフ(コカ・コーラ)、ローズJ.フレノール(フェデックス)からのプレゼンテーションを聴く
2012年のGTLの一人と僕 - 休憩の間に
休憩の間、激しい議論中のGTLのグループ
部屋の中の沢山の愛 - オスカー候補経験者の映画監督、ジャマール・ジョセフ教授が幾つかの映画の微妙な問題を伝えている
休憩中に本を読み終えるところのGTL
部屋の中の沢山の愛 - 彼らは本当の姉妹だ
休憩中に僕の話を聴く、僕達の2012年のGTLの一人 - 僕は部屋の中の沢山の愛を感じることが出来た
エルトン・ジョン卿 - We Are Family基金の受賞者と素晴らしい演奏
過去10年以上の間、We Are Family基金は素晴らしい時が何度かあった。僕達の年に一度のJust Peace Summitは沢山のそれらの時に満ちていて、今年はパワフルなスタートを切った。僕達のThree Dot Dash(モールス信号のVの文字。平和の国際信号)と呼ばれるプレミア・プログラムは世界中からティーン達を呼び寄せる。
3DDは一年間のメンタリング(導く)・プログラムだ。今日、受賞フォト・ジャーナリストのテウン・ヴォエテンは僕達のグローバル・ティーン・リーダーのグループに "写真と共に物語を語る" ことを教えてくれた。これは僕の毎日の話で、写真と共に語ったものだ。
僕の建物をJPSの為に出た時、僕は見上げてこの写真を撮った
僕はサミットの本部から2ブロックの(ところにある)28番通りへの地下鉄を撮った
僕がサミットの本部に近づいた時、僕は道を渡った(ところにある)教会が黄色いリボンで取り巻かれているのに気付いた
僕はリボンを説明する、教会の前のこの飾り板を読んだ
僕がサミットの主室に歩いて入った時、国際的な受賞者、フォト・ジャーナリストのテウン・ヴォエテンが "写真と共に物語を語る" ことを教えていた
そのセッションはテウンがティーン達に明日の宿題を与えた後に終わった
僕はテウンのパワフルな写真の前で写真を撮られた
僕はテウンの最も有名な写真の一枚の前で写真を撮られた
僕は道を渡った(ところにある)黄色いリボンの教会を写真に撮った。何故なら、僕はテウンの戦争の写真にとても心を動かされたからだ
僕は、平和の母、またはマッティのママとして知られるジェミ・ステパネクを速写し、次の日の準備の為に家に帰った