Friday, November 22, 2024

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Wow. Time Flies!

February 10, 2012


僕のエンジニア、グレイ・トールとスタジオの中での僕とポーラ・アブドゥル

昨日、僕はほぼ20年会っていなかった二人の友達の訪問を受けた。著名な作曲家である(メガソングライターチームのリーバー&ストーラーの)ジェリー・リーバーの息子のオリバー・リーバー、そして映画製作者のアヌーク・ノラだ。僕の人生の大半で知っているオリバーは、ポーラ・アブドゥルの2つのナンバーワンになった曲、"Forever Your Girl"と"Opposites Attract"と共に世界に突然現れた。

僕は映画Coming to America(邦題:星の王子ニューヨークへ行く)でポーラと仕事をした。僕は映画の楽譜を書き、彼女はアフリカの部族ダンスシーンの振り付けをした。

オリバーの兄弟は、僕とジェフ・ベックと共同でニック・ノルティとシャキール・オニール主演のブルー・チップスという映画の楽譜を書いたジェド・リーバーだ。

アヌークと僕はラ・サマンナというセント・マーティンにあるプレミアリゾートを彼女の家族が所有していた頃とても親密だった。彼女はずっと昔、映画製作者マーカス・ニスペルのパートナーだった。僕らはオレ・オレ"マルタ・サンチェス主演Soldados del Amor"をやったのだ。あぁ!時の経つのは早い!


オリバー・リーバーとアヌーク・ノラ


ジェドのスタジオでのジェド・リーバーとエルトン・ジョン


アヌークと僕


マルタ・サンチェス


ポーラ・アブドゥル"Opposites Attract"


"Coming to America(邦題:星の王子ニューヨークへ行く)"アフリカ部族ダンス-僕が楽譜を書き、ポーラ・アブドゥルが振り付けをした


僕とジェド・リーバーそしてジェフ・ベックが共同で音楽を書いた-映画ブルー・チップスから


オレ・オレ"マルタ・サンチェス主演Soldados del Amor"-3分30秒のところで僕のギターがくるのを聴ける

 


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On Stage Dancing With Us

February 9, 2012


フォラミ、僕そしてキム

僕は昨夜、"Good Times" を演奏する僕、フォラミそしてキムのコピーを受け取った。僕らは『プロムの夜』というツアーの一員として交響楽団と共演していた。これはドイツのドルトムントで録音されたものだ。

音楽を一緒に演奏している時、(演奏者同士が)如何に近くなるかというのは驚くべきことだ。何故ならそれは協力的な取り組みだからだ。CHICの音楽を解釈しているクラッシックの演奏家は本当に興味深い。それは僕が常に信じている何か:音楽は僕らが皆本質的に理解している世界共通語だという事 - を実証している。

ずっと昔に僕らとステージで踊った、僕らの音楽を押し上げたハードコアな地下クラブの中を見たこともない人々を見る(彼等と一緒に舞台に立つ)事は、僕の心を暖かくする。


ドイツ、ドルトムントでのCHIC&プロムの夜(オーケストラ) "GOOD TIMES"ライブ

 


CHICの弦楽器パート、ドイツ部門


主演ソリストと『プロムの夜』中核チーム - ドルトムントの楽屋にて


オーケストラとのリハーサル - 音楽の世界共通語


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My Favorite Daft Punk Records

February 8, 2012


僕とダフト・パンク - ニューヨーク・シティの僕のアパートにて

僕は早朝の列車を捕まえなくてはいけなかった。何故なら、僕はダフト・パンクと出来るだけ多くの時間を過ごしたかったのだ。僕らは失った時間と、過去に逃した出会いを取り戻しさなくてはいけなかったのだ。会っている間、トーマスは ”ナイル、すべてが完璧に運び、僕らにこの時を運んできたんだ” と言った。

僕らは素晴らしい一日を過ごした。彼らはその日ニューヨークの僕のアパートに殆どいた。物事はうまくいき、僕らはその日が終わって欲しくなかった。だが、僕はオーストラリアでの来たるCHICのギグの為の一連のインタビューをこなさなくてはいけなかった。インタビューの後、僕は僕の好きなダフト・パンクのレコードを聴いた。

点の上にマウスポインタを乗せて楽しんで!

CatNipSoup提供のデザイン


ダフト・パンク "Da Funk"


映画「トロン:レガシー」より "The Grid" - 完全に格好良い!

 


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Daft Punk Is Hanging At My House

February 7, 2012


ダフト・パンク

今日、僕はトーマ・バンガルテルとギ=マニュエル・ド・オメン=クリストという、ダフト・パンクとしてより知られる二人と時間を過ごすつもりだ。僕らは以前、彼らが90年代にニューヨーク・シティであったリスニング・パーティの一種をしていた時にちょっとの間会っていた。その場所は混沌としていて、彼らが僕の以前のパートナー、バーナード・エドワーズの死について残念だと語った事以外、僕らは実際にはアーティストとしての繋がりを持てた訳ではなかった。そして彼らはCHICを気に入っていた。その印象はお互いに共通したものだ。

そう、僕もダフト・パンクを気に入っている。最初に "Da Funk" を聞いた時、僕はそれが長く聞いてきた中でも最高にグルービーなレコードの一つだと思った。"One More Time" という曲は僕がパリに旅行してヴァージンレコードを訪れた時に世に出たものだ。

僕はほぼ彼らと付き合うようになっていたが、何が悪かったのか憶えていない。 "Harder, Better, Faster, Stronger (仕事は終わらない)"僕はこの曲を聴いた時、その年の一番格好いいレコードの一つだと強く思った。

ほぼ付き合うようになったこの数年後、ついにダフト・パンクは僕の家で寛ぐようになった。

点の上にマウスポインタを乗せて楽しんで!

CatNipSoup提供のデザイン


ダフト・パンク "Da Funk"


映画「トロン: レガシー」より "The Grid" - 完全に格好良い!

 


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Thinking Of You

February 6, 2012


テキサス小児癌センターのバナー

早朝、ヒューストンのフォーシーズンズホテルを出る僕の顔に太陽が降り注いだ。CHIC orgがテキサス小児癌センターに行く途中で、僕らはちょっとしたジャムセッションをした。

僕らは スーとレスター・スミスによって組織されたチャリティコンサートをする為に街にいた。彼らは記録破りの$32,260,000を集めた。そのお金は僕らにとって重要だ。何故なら、子供たちだけではなく、その世話をする人、スタッフ、ボランティアそしてこの過程に参加する皆の人生を変えることが出来るのだから。

全ての経験が僕にとって人生を変える感銘を与えた。僕は今日コネティカットに帰るが僕はスー、レスターそして小児病院の皆に感謝し、君たちのことを思っていることを確信している。


早朝、ヒューストンのフォーシーズンズホテルを出る僕の顔に太陽が降り注いだ


テキサス小児癌センターに到着するCHIC org


CHIC org のギター・テック、テリー・ブラウアー


癌センターで皆の為にメロディを演奏するCHIC org


僕が会った患者、スタッフそして家族の皆-君達のことを思っている


癌センターで別の曲を演奏する


フォラミ、キム


Purple Songs Can Fly音楽プロジェクトのポスター


君達は素晴らしく歌った。そして僕は君達のことを思っている


君達は素晴らしい施設を走った。そして僕は君達のことを思っている


君達はふたりとも素敵で親切だった。僕は君達のことを思っている


患者、スタッフそして家族の皆。僕は君達のことを思っている


テキサス小児癌資金集めガラのサウンドチェックの直前の僕を撮った写真


僕は君が僕の為に曲を書いてくれた事が光栄だ。そして僕は君達のことを思っている


フォラミ


ガイドツアーをして貰う


演奏する


The CHIC Organization "Thinking Of You" ライブ

 


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With Some Real People

February 5, 2012


テキサス小児病院癌センターの患者とスタッフ

昨日、僕はテキサス小児病院癌センターの患者やスタッフと一日を過ごした。それは驚くような場所だった。僕は技術、娯楽、ひらめき、芸術、音楽、崇高さ、そして人間性の調和に非常に感銘を受けた。

僕は普段よく喋るが、”百聞は一見に如かず”と言われるように、これらの写真はその価値がある。これが僕が如何に僕の一日を幾人かの"本物の(素晴らしい)"人々と過ごしたかだ。


技術の素晴らしい調和


娯楽の素晴らしい調和


ひらめきの素晴らしい調和


芸術の素晴らしい調和


音楽の素晴らしい調和


“本物の”人々と


“本物の”人々と


“本物の”人々と


“本物の”人々と


“本物の”人々と


“本物の”人々と


CHIC "Real People (1980)"

 


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I Can Be Brave Too!

February 4, 2012


一年ちょっと前、僕は進行性の前立腺癌で入院していた

一年ちょっと前、僕は進行性の前立腺癌で入院していた。それ以来、音楽は僕の回復プログラムに不可欠のものとなった。僕が世界中どこにいようと、毎日僕は歌い、演奏する。

昨日、僕は第四段階の前立腺癌を患う、音楽業界のとても良い友人と話した。治療の直後、彼はツアーに戻る。

今日僕はテキサス小児病院癌センターで、昼間そして今夜遅くまで歌っている。僕はチャリティコンサートをしているのだ。音楽は僕を前進させ続けるものだ。僕はここに来て、子供たちの為に演奏出来て嬉しい。

最近、僕は肉体的に辛いが、僕はこれが僕を精神的に再充電してくれるのを知っている。子供たちの勇敢さほど、僕も勇敢になれるという事を気付かせてくれるものはない!


We Are Family Foundation財団制作の "We Are Family: 皆の為の音楽のメッセージ"

 


僕が世界中どこにいようと、毎日僕は歌い、演奏する。


僕が世界中どこにいようと、毎日僕は歌い、演奏する。


僕が世界中どこにいようと、毎日僕は歌い、演奏する。


僕が世界中どこにいようと、毎日僕は歌い、演奏する。


僕、子供たち、そしてキャリル・スターン (米国ユニセフの長) - We Are Family Foundation財団の音楽ヴィデオを撮影している


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The King of Punk Funk

February 3, 2012


デヴィッド・ボウイ、ココ・シュワブ、僕、そしてリック・ジェームスとの1983年の写真(リン・ゴールドスミスによる)

僕は素晴らしい人生を送っている。それは僕が特別な人々と仕事をしているからというだけではなく、僕がまだ息をしているからだ。僕が同様にドラッグとパーティに明け暮れていた頃を思うと、それは奇跡だ。沢山の素晴らしいアーティスト達が僕の世界を余りにも早く去ってしまった。その人々の殆どはとても複雑だったが、全員が才能に恵まれていた。

そういう人々の一人がリック・ジェームスだ。リックは僕と張り合うことが出来た数少ない者たちの一人だった。僕らは沢山の夜パーティをして過ごし、でも僕らはライブで音楽を一緒に作っただけだった。一度僕らはジャイアント・スタジアムの7万人の人々の前で演奏した。僕らは何曲かファンクの激しいジャム・セッションをし、群衆を激しい興奮状態にさせた。彼は複雑だったが、いつも僕はOKだった。

リックの誕生日が来たが(注目される事なく)すぐに去ってしまった。何故ならそれはあのドン・コーネリアスが亡くなったのと同じ日だったからだ。これは写真家のリン・ゴールドスミスから僕に丁度送ってきたとても珍しい1983年の写真だ。僕らがディナー・ジャケットを着ているから、それは何かの表彰式だったはずだ。それはデヴィッド・ボウイ、ココ・シュワブそして僕がリック・ジェームスと行動を共にしているところを捉えている。


パンク・ファンクの王、リック・ジェームスの "Give It To Me Baby"

 


ジャイアント・スタジアムに繰り出す直前の僕とリック・ジェームス


僕とリック・ジェームス


リック・ジェームス!


リック・ジェームスとグレース・ジョーンズ - 僕の好きなアーティストでパーティ好きの二人


ピアノの側でのリック・ジェームス - パンク・ファンクの王


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Part of the Soul Train Family

February 2, 2012


ドン・コーネリアス(1936年9月27日-2012年2月1日)

ドン・コーネリアスのソウル・トレインが人々に与えた文化的な衝撃は莫大なものだ。それはR&Bミュージシャンと、ソウルと大きく分類される彼らの芸術形式の人生を覗き込ませた。

ドンのヴィジョンは類まれがないこと他ならない。ソウル・トレインはCHICのアメリカの全国放送視聴者へのアクセスを可能にし、誰の家の中、どんな地域、そして国中のどんな通りにも入ることを可能にした。

最初、彼が音楽の大ファンではないというのは秘密ではなかった。というのも、僕らは(蔑まれていた)ディスコに分類されていたからだが、その内に僕らが彼の尊敬を得ていった事がわかる。僕らはソウル・トレインにかなり出て、最後にはドンは僕らがソウル・トレイン・ファミリーの一部だった、と言ってくれた。


CHIC - 'Le Freak' by gralu1
最初、彼が音楽の大ファンではないというのは秘密ではなかったが、最後には僕らはソウル・トレイン・ファミリーの一部となった

 


ソウル・トレインでのジャクソン5


ソウル・トレインでのデヴィッド・ボウイ


ソウル・トレインでのパーラメント・ファンカデリック


ソウル・トレインでのアイク&ティナ・ターナー


ソウル・トレインでのアル・グリーン


ソウル・トレインでのバリー・ホワイト


ソウル・トレインでのフレッシュ・プリンス、ウィル・スミス


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Life's Most Important Nights

February 1, 2012


アーメット・アーティガンに捧げるモントルー・ジャズ::(ベン・E.キング、アーメット・アーティガン、僕、ロバート・プラント、シルヴァー・ローガン・シャープ、パオロ・ヌティーニ、スティーヴィー・ニックスと友人達)

二日前、僕は今まで見たことのないビデオについて話を聞いた。それは2006年のモントルー・ジャズ・フェスティヴァルの時のものだった。アトランティック・レコードの創設者であり、伝説的会長アーメット・アーティガンへ捧げるものだったのだ。

アトランティックは僕のグループCHICが最初に契約したレーベルだ。多くのスーパー芸能人達がアトランティックと契約し、その夜、スイスにいた僕らの多くがそのレーベルの創設者を支援しようと集まった。

スティーヴィー・ニックス、ロバート・プラント、ベン・E.キング、スティーヴ・ウィンウッド、ソロモン・バーク、パオロ・ヌティーニ、CHICそして他数人が二日間、会場を盛り上げた。僕とジョージ・デュークが共同音楽監督を務めた。

このショーのすぐ後、アーメットは二度とそこから回復することのない予期せぬ転倒をした。その時の僕はわからなかったのだが、これは僕の人生で最も大切な夜の一つだったのだ。(*同フェスティヴァルを当初からサポートしていたアーメット・アーティガンは、この夜から四ヶ月後の10月29日、ザ・ローリング・ストーンズのライヴ会場を訪れた際に転倒し、一ヶ月半後の12月14日に帰らぬ人となった)


僕の人生で最も大切な夜の一つ

 


スティーヴィー・ニックス


ロバート・プラント


ベン・E.キング


スティーヴ・ウィンウッド


ソロモン・バーク


パオロ・ヌティーニ


CHIC


ジョージ・デューク、このアーメット・アーティガンに捧げるライヴの、僕の共同音楽監督-僕の人生で最も大切な夜の一つ


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