今日と明日の(ここの)地元の気温は、いつもより華氏20度ほど上り始めるだろう。
今日と明日の(ここの)地元の気温は、いつもより華氏20度ほど上り始めるだろう。秋の終わりから僕が行った所は平均気温が通常を軽く超えている。
去年の今頃は僕の地域はウィンター・ワンダーランドだった。だが、今冬は僕は殆ど屋根を出さずに運転出来る。多分僕の人生で一番温かい夏がこの2012年の冬の時期になる?
(僕が)この冬の始まる頃に居たドイツのブレーメンのよう。外はまるで夏のようだ。
セントラル・パークでの去年の今頃。それはウィンター・ワンダーランドだった。
これはル・クリブの僕の裏庭での去年の今頃
これはコネチカット州ウエストポートのコンポビーチでの去年の今頃
今冬僕は、殆ど屋根を降ろさずに運転出来る。
(ブガティ・ヴェイロン-僕は持っていないが、乗っている時の写真を撮るという誘惑に抗えなかった)
これが数ヶ月前の記録的暖かさの日
卑怯だ! 2週間前、これがこんな風だった。だが、僕はタークス・カイコス諸島にいて、それは暖かいはずだった
多分僕の人生で一番温かい夏がこの2012年の冬の時期になる?
チャリティのギグで-僕とケイティ・コーリック
僕は、好きなのだがあまり多くのレコードに録音されていないので時々ちょっとばかり目立たないギターを何本か持っている。僕はそれらをライブのギグでよく弾く。僕はチャリティ・コンサートで何年も弾いていて、普段そこでは僕は12弦のギターをよく演奏する。
僕がビートルズへ捧げて演奏した後、スティング、レニー・クラヴィッツ、そして他にも沢山がサインをしたリンケンバッカー12弦
僕はこのフェンダー・エレクトリックXIIを沢山のライブギグで弾いた
沢山のライブギグで僕はこのギブソン・ソングライター・デラックス12弦アコースティックを弾いた
僕はこのリンケンバッカー620-12弦ギターをケイティ・コーリックのチャリティで弾いた
僕はこのリンケンバッカー330-12弦をミッキー・ドレンツとチャリティで弾いた
スティーヴィー・レイ・ヴォーンとジミー・ヴォーンがウィー・アー・ファミリー・スタイルに(彼ら自身を)捧げている
人生は浮き沈みの連続だ。一年と少し前、進行性の前立腺癌に襲われた時、僕はとても低い地点にいた。
1990年、僕はまるで人生のような、沢山の浮き沈みに満ちたプロジェクトに取り組んでいた。それはザ・ヴォーン・ブラザーズの "ファミリー・スタイル"。スティーヴィー・レイと彼の兄ジミーによる唯一のスタジオ・アルバムだった。
そのアルバムの殆どは最高の連続だったが、低い時は考え得る限りの全てのうちで最低、スティーヴィー・レイ・ヴォーンの死だった。
このプロジェクトはこの二人の兄弟を近づけただけではなく、僕たちの全体の仲間をユニークな親族関係、ウィー・アーファミリー・スタイルにした。(※スティーヴィー・レイ・ヴォーンは、アルバム完成直後、発売直前にヘリコプター事故で急死している)
スティーヴィーの死の直前のスタジオの中のヴォーン・ブラザーズ。彼は僕のファクトリーで金属部に金メッキが施されたストラト(キャスター)をビデオクリップの最後で演奏している。 SRVMusicVideoによるアップロード
メンフィスのアーデントスタジオのコントロール・ルームで "ファミリー・スタイル" 中のヴォーン・ブラザーズ
"ファミリー・スタイル" の録音中にプール・ブレイクをとるスティーヴィー
アルのベース・トラックを聞き直すアル・ベリー、ジミー、そして僕
リッチ・ヒルトンとマイケル・ヴァスケスの楽しいひととき
アーティストとプロデューサーなひとときにひたるジミーと僕
スティーヴィー、僕そしてジミーのアーティストとプロデューサーなひととき
ヴォーン・ブラザーズ "ファミリー・スタイル"
仕事に出る時、僕はおもいがけない事が待っているのを知っていた
仕事に出る時、僕はおもいがけない事が待っているのを知っていた。僕は自分のレコードレーベルと配給会社についてそう話す事はない。何故なら、それはとても限定されているし、一般的に人々が面白いと思わないことを押し付けることになるからだ。
今日はちょっと違っていた。というのも、Electronic Gaming Monthly誌の「最も期待されているゲーム12本」の半分のサウンドトラック盤を僕の会社から出すからだ。これは素敵なことだ。
Electronic Gaming Monthly誌「2012年の12本」号
「ダークサイダー 2」を持っている
「ヒットマン・アブソリューション」を持っている
「ボーダーランド 2」を持っている
「ヘイロー 4」を持っている
僕は「レッド・ファクション」のレッド・カラーLPに興味を持つよう人々に押し付けようとは思わない
僕は「ヘイロー・コンバット・エヴォルヴド」のLPに興味を持つよう人々に押し付けようとは思わない
僕の生活の全てと同様に、僕はこの仕事を次のレヴェルにもっていこうと思う。だって、これは素敵なことだから
ル・クリブにてシェイラ、僕そしてゴールドエピフォン295
フランスのスーパースター、シェイラと撮影で一日を過ごした後、その夜僕はグラミー賞ノミネート者のパーティに行った。僕は沢山の素晴らしいアーティストと、新旧の友人達と会った。
パーティに行く為に僕のスタジオを離れる直前、僕はスティーヴィー・レイ・ヴォーンの最後のプロジェクトとなった、アルバム『ファミリー・スタイル』時の写真の宝の山を見つけた。それは彼と彼の兄弟ジミー・ヴォーンとの唯一のアルバムだった。(※ザ・ヴォーン・ブラザーズ名義)
それは僕が作り、このプロジェクトの間にスティーヴィーを亡くした悲しみを決して乗り越えられないというアルバムだ。僕がどれだけこの二人のミュージシャン、そして人々を大事に思っていたか言い表すことは出来ない。
次の数カ月、僕は『ファミリー・スタイル』時の写真そして話を(君たちと)分かち合おうと思う。だが、今はちょっとだけ見てみよう。
シェイラと僕 - ル・クリブのキッチンで
シェイラと僕 - お天気の良い日のル・クリブでの撮影
僕 - グラミー賞ノミネート者のパーティで
僕とニューヨークチャプター副社長のニッキー・リチャーズ
(※ナイルに確認中)
僕とジミー・ジャム
スティーヴィー・レイ・ヴォーン - チャンピオンの朝食
ザ・ヴォーン・ブラザーズ『ファミリー・スタイル』プロジェクトの中核バンド
ヴォーン兄弟のギター貯蔵庫の一部
ヴォーン兄弟のギター貯蔵庫の更に一部
ジミー・ヴォーンが『ファミリー・スタイル』でギターを弾く
スティーヴィー・レイ・ヴォーンとジミー・ヴォーンが『ファミリー・スタイル』でギターを弾く
レネー(ギター・テック)とスティーヴィーがゲームをしている
今日僕はフランスのスーパースター、シェイラについての映画に参加する予定だ。
今日僕はフランスのスーパースター、シェイラについての映画に参加する予定だ。彼女は一日の大半をル・クリブ・スタジオで撮影する事になっている。
僕はこの小さな場所を約30年所有していて、沢山の興味深い人々がここに来た。ブロンディーのデビー・ハリーとクリス・ステインと同じようにダイアナ・ロスがここに来た。アイリーン・キャラ、ジーン・シモンズ(キッス)、サイモン・ル・ボン(デュラン・デュラン)、マーク、サマンサそしてシャーロット・ロンソン、マドンナ・チッコーニ、パオロ・ヌティーニ、アシュフォード・アンド・シンプソン、ルーサー・ヴァンドロス、そして他にも沢山。
CHIC Organizationがシェイラのアルバム"King Of The World"の為に音楽を書いた時、その殆どがこのスタジオで作曲された。そして今日、32年後、シェイラがここに!
シェイラと・アンド・B.デヴォーション"King of the World" (点の上にマウスを乗せて!)
(点の上にマウスを乗せて!)
ロバート・メイプルソープによる僕(のポートレート)の前の花瓶にいる、僕の生活の中に沢山いる龍の一つ
昨日は中国の新年の始まりだった。今年は龍年だ。僕は龍年生まれなのだ。象徴的な意味において、龍は中国の十二宮で最も幸運な年だと考えられている。
僕がもっと若かった頃、僕はカンフーの沢山の型を学んだ。僕のお寺の一つは中国の新年のお祝いの一部として毎年恒例のドラゴンダンス(獅子舞)に参加していた。
僕の生活の中には沢山の龍がいる。僕はそれについて全く意識して考えたことがなかった。何となく、僕は彼らにただ引き寄せられたのだ。これが僕の生活の中に沢山いる龍の幾つかだ。
リビングルームのランプシェードにいる、僕の生活の中に沢山いる龍の一つ
リビングルームの中国のキャビネットにいる、僕の生活の中に沢山いる龍の一つ
ドレクセル大学の学長のオフィスにいる、僕の生活の中に沢山いる龍の一つ
数日前のタークス・カイコス諸島で朝のカンフーをしている
ニュー・ヨークのドラゴンダンス
昨日の、朝のエクセサイズをしている大写しの僕 - ドラゴンダンスを思い出しながらやっていた
リビングルームにある木と金属の彫り物の、僕の生活の中に沢山いる龍の一つ
僕はヒットメーカーというあだ名の1959/60年製ストラトキャスターでライブ演奏をしている
"ヒットメーカー" は僕のギター、1959/60年製フェンダー・ストラトキャスターのニックネームだ。これは僕の不変の貢献者だ。計算したが、20億ドル以上の価値の音楽を演奏してきた。
だが、僕の群れには別にヒーローのギターがある。それは僕のプレキシグラス・ギターマンだ。そして、それは常にヒットメーカーの代役としてビデオやTVに現れる。それはクレジットには出ないが、それに値する。何故なら、それは素晴らしい音の楽器で、でもその主な役割はヒットメーカーの影武者を演じる事なのだ。
僕の最近の不変のギター
僕のプレキシグラス・ギターマン・ストラト
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ギターマンが影武者になっているライブでの演奏
昨日はこの冬最初のかなりの降雪と共に始まった。これが僕の家の前庭だ
昨日はこの冬最初のかなりの降雪と共に始まった。僕はレンジ・ローバーを駆って一日中予定が詰まったニュー・ヨーク・シティへ向かった。
僕は時々自分の珍しいギターを僕のチャリティ、 We Are Family 財団の為にオークションにかける。今日僕は比類のないメガスーパースターがサインをしたものを手放す。
このギターはSave The Rainforest Concert(熱帯雨林を救えコンサート)2010の僕の予備ギターだった。これにはスティング。、レディ・ガガ、エルトン・ジョン、ブルース・スプリングスティーン、メアリー・J・ブライジ、デビー・ハリーそしてその他大勢のサインが入っている。ギターを競り落とした人達との急ぎの撮影会の後、僕はミュージカル "The Book Of Mormon" を観に行った。
僕は肩を叩かれ、驚いた。それは僕の親愛なる友人で、元々の CHIC Organization のツアーマネージャー、スチュワート・グリフェンだった。彼は俳優のタイラー・ネグロンと一緒にそこにいた。
そして僕は僕の親愛なる友人、ロージー・ペレス、デイヴィッド・ハイド・ピアースを含む "Close Up Space" という素晴らしい劇のキャストに会いに行った。僕らしい(忙しい)日だった。
僕はレンジ・ローバーを駆ってニュー・ヨーク・シティへ向かった。
僕のメガサイン(スティング、レディ・ガガ、エルトン・ジョン、ブルース・スプリングスティーン、メアリー・J・ブライジ、デビー・ハリーそしてその他大勢)が入った僕の予備ギターの勝者
僕は手放す前に、そのギターの最後の演奏と急ぎの撮影会をした
The Book Of Mormon のこの曲は本当に僕を大笑いさせた
CHIC Organizationのキーボード奏者、レイモンド・ジョーンズ(安らかに眠れ)とツアーマネージャーのスチュワート・グリフェン
テイラー・ネグロンのポスター
ロージー・ペレス
デイヴィッド・ハイド・ピアース
Close Up Spaceのキャスト
リビングルームでギターを弾くのは僕らしい日の理想だ
僕は Blue Magicの "Magic Of The Blue" とその他の何曲かを歌っていた
数日前、僕はドレクセル大学に行く為ル・クリブ・スタジオを出た。僕は Blue Magicの "Magic Of The Blue" とその他の何曲かを歌っていた。それは辻褄が合うことだった。Blue Magic はドレクセルのあるフィラデルフィア出身のグループだからだ。その日の終わりまで、覚悟していなかったものを経験するだろう事を殆ど知らなかった。それどころか、僕はそれがエキサイティングなものだという事さえ知らなかった。それはその大学に今収蔵されている、伝説的シグマ・サウンド・スタジオのアナログテープのアーカイブだった。
歌い、ハミングし、口笛を吹き、または頭の中で単に曲を浮かべるだけで僕は一日の大部分を費やす。こんなにも音楽は僕の人生の中で大きなものだ。この衝動は通常、僕が出くわす何かにより促される。
ドレクセルのキャンパスツアーの時、僕はテープのアーカイブへと連れて行かれた。その膨大な量の馴染みの曲の録音を見た時、僕は歓喜し、ただただしゃにむに歌い踊り始めた。
ドレクセル大学の正門
ドレクセルのテープアーカイブの中で、副学部長のルイーザ・ハンショウと僕
Blue Magic は僕をしゃにむに歌い踊らせた
グレース・ジョーンズとアトランティック・スターは僕をしゃにむに歌い踊らせた
デルフォニクスとスタイリスティックスは僕をしゃにむに歌い踊らせた
グロリア・ゲイナーは僕をしゃにむに歌い踊らせた