作家でTVのホストであるモンテル・ウィリアムズと僕 - ハマーシュタイン・ダンスホールのレッド・カーペットの上で
ハマーシュタイン・ダンスホールのレッド・カーペットの場所で、僕は本のサイン会とコンサート前のパーティを組み合わせる。それは3月31日(土曜)の午後4:30に起こる。住所はウェスト34番ストリート311で、無料だ。僕がこれをするのは、それが陽気なリラックスした状況で人々と会う機会だからだ。僕は滅多にNYC地区で演奏をしない。だが、それは正式には "本のサイン会" と呼ばれるものだから、一般に開放されている。僕はお喋りをし、何曲か演奏し、そして何冊かの本 - または、ついでに言えば何か他のもの - でもサインをする。
僕の毎日の癌闘病ブログを始めて以来、人々から得た支援に僕は感謝している。僕達の最近の音楽文化は、ずっと昔僕にひらめきを与えたディスコ・ムーブメントの開放性から更に遠く離れている。僕はその方が良かったと言っているのではなく、ただそれが違っていたと言っている。「ディスコの伝説」コンサートの前に僕と楽しもう。そして、自分で決めれば良い。昔々のように、さあイベントに寄ってらっしゃい見てらっしゃい!
ダイアナ・ロスとマイケル・ジャクソンがディスコ・ムーブメントの開放性を楽しんでいる
初期のCHIC Orgのフルメンバー
昔々、ルーサー・ヴァンドロスがCHICとライブを演奏していた
ディスコ・ムーブメントの精神を保ち続ける
僕達のハマーシュタインダンスホールでの前回のショーは素晴らしかった
今年の今月最後の日は素晴らしい日になるはずだ。それはTEDティーン版で始まり、そして僕はディスコ・コンサートの伝説に続きコンサート前のパーティをする。
約一年前、僕は癌手術から初期段階にいて、それ以来初めてのコンサートの用意をしてた。僕達の次の日のリハーサルはうまくいき、僕は基本的にそれ以来健康になって来ている。それは楽ではなく、僕は数回医学的緊急事態があったが、音楽、僕の毎日のブログ、そして偉大な医師達が僕の回復の拠り所となった。
これらは、それ以降の毎月の数枚の写真だ。最後の写真はオーストラリアでの僕達の一番最近のコンサートからのものだ。僕達の次のショーは3月31日土曜、ハマーシュタインダンスホール、今月最後の日にある。
トゥレ - 2011年のTEDティーン版のホスト
典型的に、君たちは僕の毎日のブログで僕の顔を見て僕の言葉を聴く。今日、僕は僕達のとても成功しているWe Are Family基金プログラムのTEDティーン版の一人から、(彼らの)顔と言葉をお送りする。
"匿名の非凡さ"- ナタリー・ウァーン(2011年のTEDティーン版)
"フランケンシュタイン"- カーディム・ディオプ(2010年のTEDティーン版)
2011年のTEDティーン版の話者、アングウィッチ・コリンズ
僕達のTEDティーン版専任スタッフとボランティアの数人。-彼らがいなければ全てが不可能になる-
2001年のTEDティーン版の観客
2011年のTEDティーン版の話者、ナタリー・ウァーンと
服飾デザイナーで、アーティストで活動家である、ダン・エルドン展2011年
TEDティーン版の観客メンバー、バングラデッシュからのトゥヒム・ファヒムそしてロッシ
僕達の2012年度のグローバル・ティーン・リーダー達と会う為に黒の点の上にカーソルを合わせて
人生は浮き沈みに満ちている。僕自身の場合、ある日僕は血液検査によるととても健康な患者だった。しかし、生体組織検査によると、悪性の癌が大きくなっていた。それはちょうど一年少し前の事で、僕は今もまだ立ち向かっている。
僕がバランスをとるのを保てている一部(理由のひとつ)は、僕が子供の頃から色々な形で行なっているチャリティ活動をするという事だ。僕がこの種の仕事をするのは、僕がそのやり方で社会に適応したからだ。かつて僕の母はいつも言っていた - そして僕はいつも本気で言っている - "自分が対応して欲しいように人に対応するのだ" と。
僕の良き友の一人が9月11日に世界貿易センターに飛び込んだ最初の飛行機の中で殺された後、僕はWe Are Family基金(WAFF) - シスター・スレッジの為にその曲を共作した後に名付けた - を始めた。過去10年以上、僕達の尊敬、理解そして文化の多様性のミッションがプログラムの中で取り組まれている。- その最も意欲的なものがスリー・ドット・ダッシュ、僕達が、ティーンエイジの変革を起こす者達の新たな取り組みを手助けする一年間のグローバル・メンタリング(導く)・プログラム - だ。
今年、僕達の最初のWAFF受賞者、13歳のベストセラー作家/詩人/ピースメーカー、マッティJ.T.ステパネクにより名付けられた、僕達のジャスト・ピース・サミットに14の国、4つの大陸からティーン達を迎える。
僕達がグローバル・ティーン・リーダーと呼ぶ、僕のこれらの人々との取り組みは、僕の人生の中で最も実りあるものの一つだ。彼らは僕に、人生は葛藤であり、また贈り物でもあるということを思い出させる。僕は、これが僕の普段のブログ内容ととても異なっているのを分かっているが、上記の写真の中にある彼らの物事リンクまでスクロールすれば、何故僕が来週についてとても興奮しているかが分かるだろう。
We Are Family基金10周年ガラ
拡大する為に映像をクリックして - (画像間を)行き来する為には左と右の矢印を使って
これが、いかに僕達がオーストラリアで進めてきたかだ - シンプル、そして基本
3月31日土曜日の午後5時、僕は格好いいコンサート前のパーティをする! この頃夜ふかしするのが好きではないからというのではなく、それは無料なのだ! それは本のサイン会または "サインしたいものは何でも一つ(サインをする会)" との組み合わせになる。オーストラリアでは、ある女性が彼女のドレスを少しばかり引き下ろして、自分がサインして貰いたいのは右胸だ、と言った。僕はコンサートのプロモーターにこれを僕にさせてくれるよう説得してきた。何故なら、地球の裏側ではとてもうまくいったからだ。イベントの前に夜通しの素晴らしいバイブスを加える。
人生は厳しいし、多分殆どの人が割けるのは自分の時間だ。このパーティは、進行性の癌に襲われて以来バーチャルで会ってきた仲間と(直接)繋がるチャンスを僕にくれる。これらの人々は僕がネットに繋がっている時にいつでも僕の為にそこにいてくれた。
癌は恐ろしいし、多くの夜、僕は誰か(僕の話を)聴いてくれる人と話をする必要があった。ハマースタインダンスホールに立ち寄りたい、そして触覚の(バーチャルではない)世界で会いたいNYC近辺の人は、誰でも招待される。そのたっぷりのイベントに(参加が)出来る人たちの為に、僕はそれをチケットの為に ワンクリックする(だけ)
という簡単なものにした。僕の事前パーティは正式な広告ではなく、典型的な事後パーティの代わりだ。僕は格好いいコンサート前のパーティをするつもりだ!
それは本のサイン会または "サインしたいものは何でも一つ(サインをする会)" との組み合わせだ。オーストラリアで、ある女性が彼女のドレスを少しばかり引き下ろして、自分がサインして貰いたいのは右胸だ、と言った。
僕はこれを幾つかした
そして僕はこれを幾つかした
僕はこれを少しばかりした
僕はオーナーと親しくさえした
僕はこれを "CHIC-ism" のTシャツを着た彼の相棒の為にした
そしてこれ…
これ…
これと組み合わせて…
この少しと組み合わせて
究極にはこうなる!
そして最後にこうだ!
僕がライブで演奏し、観客が動き始める時、僕は不安な気持ちで女の子に歩み寄り、彼女に "君は踊りたい?" と初めて尋ねた時と同じ気持ちになる。
何年も前、エリック・クラプトンとレコーディングをしている間に彼が僕に言った。彼は自分の残りの人生の間、ブルースを演奏する事が出来て幸せだ、と。僕はエリックが何を意味したかをわかっていた。だが、そこには彼が言わずにいた何かがあった。ミュージシャンがブルースを永遠に演奏するのは受け入れられる事だ。だが、ダンスミュージックではそうはいかない。一つの芸術形式(ブルース)はその演奏者が何歳であろうと尊敬できるものと考えられるが、他は若者の為のものだ。
僕は59歳だ。僕がライブで演奏し、観客が動き始める時、僕は不安な気持ちで女の子に歩み寄り、彼女に "君は踊りたい?" と初めて尋ねた時と同じ気持ちになる。
3月31日、僕は何人かの伝説的 - 彼らが若かった頃から、そうだと確定していた - アーティスト達と演奏する。僕が一緒に演奏するこれらの活動の多くは最近であり、彼らは今もそれをもたらしている!
僕は全てのスタイルの音楽を創りだして来たし、あらゆる種類が不朽の関連するアーティストを得ている。アートの中の生来の格好つけは、通常、行い手によってではなく話し手達によって不朽のものにされる。僕は他の人がどの道を選ぶか判らない。だが、僕の場合は、僕にファンクをくれ、僕を踊らせてくれ!(という道を選ぶと言える)
映画 "Do The Right Thing" のオープニング・クレジット中の、ロージーぺレスによるパワフルなソロ・ダンシング
7歳の時のハロウィンの僕 - トリック・オア・トリートの後、僕の不眠症は一日中僕を起こしたままだった
幼い子供の頃から、僕は三種類の不眠症を患ってきた。僕の友人の殆どが眠りについている時、僕は起きている。癌に襲われて以来、ブログは僕を一日24時間、世界中の人々に連絡させてくれた。それはまた、過去に殆ど会ったことのない人々との一対一の関係を僕に持たせてくれた。僕の人生はこれらの新しい関係によって豊かになった。
僕は本当に興奮している。何故なら、僕はまさにここ、僕の裏庭で、僕の沢山の新しいe(インターネットを通した)フレンドと会う機会があるからだ。僕は3月31日、ハマースタインダンスホールで、僕のバンドCHICと演奏をするつもりだ。僕はそのCHICのショーの前に、無料の歩きまわって話す事のできるパーティと本のサイン会をさせてくれるようプロモーターを説得した。
僕はコンサートの(チケットを買う)余裕が無い人たちだったとしても、本のサイン会でのその良いバイブス(気持ち)と興奮が、(チケットを買った)お客さんの為のそのショーをより良くすることが出来ると証明することが出来た。僕達はちょうど大変に成功したオーストラリアのツアーから家に戻ってきたばかりだが、そこでうまくいったのなら、それはここでもうまくいくはずだ。
僕は友達と会い、ここで最初のショーの前にあちこち歩きまわるつもりだ。今日のブログの写真は全部僕達のオーストラリアでのコンサートの前に撮られたものだ。普通はプロモーターはこれを許さない。だが、僕はそれがうまくいくと証明した!
僕の古い、チーム・ダッジのレーシングスーツ
今日は、ここアメリカ北東部でこの季節いつになく暖かな普通の日だった。僕は、何をすることもないという日を、そうそう持っていない。何時間かの間、僕は悩みが何もないように装った。
僕はかつてのレースドライビングの技術を呼び起こし、僕が親しみを込めてオレンジ・ビーストと呼ぶもの(車)で路上へ飛び出した。これは比類の無い工場で造られた、特別注文の縞模様も細部の装飾も無いグラバー・オレンジ仕様のフォード・マスタング・シェルビー・コブラGT500コンバーチブルだ。(グラバー[人の心をつかむ]・オレンジはマスタングの人気色のひとつ)
僕がそれを注文した時、フォードが訊いた。"何故あなたは、それとは見えないシェルビーGT500を望んだのですか?" と。僕は "僕が人々の隣に(この車を)停める時、彼らにこの車は一体どんなものなのだろう、と不思議がらせたいんだ" と答えた。
遠い昔、僕はスキップ・バーバー・レーシング学校に通い、車で出来ることを沢山習った。時折、僕は(仕事が終わった後)空の駐車場を見ると、Uターン(one-eighty=180度)を何度かしたり、かつて僕達がハンドブレーキ旋回 - 前方または後方の同じ方向に車を回転させること(僕の御気に入り) - と呼んでいたことをしたり、また車が減速している時アクセルを踏み、今来た道を戻る等のことをする。
だが、今日、僕はただハイウェイに乗り、オレンジ・ビーストのステレオを打ち鳴らし、500馬力で走らせた。
普通の見た目のGT500
コネチカット州北部のライム・ロック公園 - 僕はどこもかしこも覚える位に何度も運転している。
スキップ・バーバーにて、レースのフォーメーションに整列した車
飾り立てられたグラバー・オレンジと黒のマスタング
オレンジ・ビーストを500馬力で走らせることが出来るよう、ガレージの扉が開くのを待つ
シドニーでの離陸が中止になる前の、飛行機からの一枚
僕がこれを書いている時、数日前に僕がオーストラリアのシドニーから家に飛んで帰ろうとしていた際に離陸中止となった飛行機はまだ地上で修理中だった。
ジョージ・ワシントン・ブリッジ - 僕達のニューアーク空港への最終進入
この写真の真ん中に、自由の女神がいる - 僕達の最終進入
メッツ・ライフ球場 - ニューアーク空港への最終進入
ニューアーク・リバティ空港で接地
僕は世界で一番偉大なハウスキーパーを得た。おかえりパーティで僕は豪華なご馳走を食べた
僕は、僕が無事に家へ帰ったことを母に証明する為にこの写真を撮った
シドニー国際空港>>ロサンゼルス国際空港>>ニューアーク・リバティ国際空港::ファンキーにやろう!