僕と非凡な俳優、デルロイ·リンドが会場にいた
昨夜、僕はソングライターの殿堂のためのマスタークラスを行った。それはニューヨーク大学で行われ、満員だった。人々は素晴らしかった。僕は本にサインをし、夜遅くまで写真を撮った。
僕は電車を逃したが、東部夏時間で午前4:50のブログの投稿時間を逃したくなかった。深い文章を書く十分な時間は無かったが、ここに沢山の写真と何が起こったかをお見せしよう。
マスタークラスの始まり
ソングライターの殿堂のためのマスター・セッション・シリーズ
マスター・セッションで演奏する
ニューヨーク大学の寮に住んでいるソングライター、フィル・ガルドストンと僕は、ダイアナ・ロスの "I'm Coming Out" の歌詞の意味を論証した
マスター・セッションのホスト、フィル・ガルドストンと僕は曲作りに思いを巡らした
出席者の写真
出席者の写真
出席者の写真
出席者の写真
出席者の写真
サインの為にロビーにいる人々
僕とフィルは参加者に感謝した
曲に秘められた意味(DHM)を説明する
ル・クリブの裏庭でオリジナルのCHIC80年グランド・ツアーTシャツを着る - それは、僕の以前のローディーであるブルース・レヴィンから貰ったものだ
この数日の間に僕には幾つもの大きな驚きがあった。これらの事がどれだけ僕にとって意味を持つかを説明するのは難しい。- だが、やってみる。それを考えるに、長く音信不通だった親戚や埋められていた宝物を見つけた事を組み合わせたようなものだと思う。君が知っている何かのような、そしてまた真新しいように感じるような。僕はこれらの素晴らしい贈り物を持てた事に本当に感謝する。それらは僕に掛け替えがないと感じさせる。
美はそれを見る人の目の中にある。そして、芸術品の価値はその買い手が支払いたいと思うもの(の値)だ。お店でこれらの贈り物を見つけたとして、僕は何を支払うだろうか判らないが、それらは以前の従業員達から僕に与えられた。アメリカで、僕達には一つの諺がある。"人生で最高のものは無料(値段が付けられない)"。これらの気取らない贈り物は、僕に僕の人生の中の何人か(そして幾つか)の最高の人々、場所そして物事のことを思い出させる。
僕の以前のローディーである、ステファン・パワーズはCHIC の79年のツアー・ジャケットをくれた。僕はまだそれを着ることが出来る。
ブラックスプロイテーション映画(英辞郎より引用:1970年代前半に登場した都市部の黒人層を対象にした映画のジャンル。黒人をステレオタイプ化し、ゲットーでの麻薬や暴力を扱い、黒人公民権運動家から批判された) の警官みたいに見える空港でのバーナードと僕。- 掛け替えがない!
舞台上の僕とルーシ・マーティン
これは1979年のアイオワ州祭のCHICコンサートのチケット。チケットの値段を見てみて
ブルース・レヴィンが僕に戻してくれた僕のオリジナルの譜面の幾つか
ブルースが僕にくれた79年のUKツアー・ブックの写真
79年のUKツアー・ブックの表紙
僕の以前のローディーであるブルースが僕にくれた79年のUKツアー・ブックの写真
"人生で最高のものは無料(値段が付けられない)" - ブルースはこの30年以上前のCHICのTシャツを先週僕にくれた
今日、僕は休みで、映画「ハンガー・ゲーム」を観に行った。
今日、僕は休みだった。僕の世界の中では、それは凄い事だ。僕は映画「ハンガー・ゲーム」を観に行った。先週、僕のWe Are Family基金のジャスト・ピース・サミットは幕を閉じようとしていた。それは大いなる成功であり、僕達のグローバル・ティーン・リーダーの一人は「ハンガー・ゲーム」の最後の8ページを読んでいた。
そのすぐ次の日、僕達の基金はTEDティーン版のトークを催し、その後同じ日にディスコの伝説というコンサートが続く本のサイン会をハマーシュタイン・ダンスホールで催した。3つのイベント全てはとても成功だった。
僕はカーネギー・ホールでのレインフォレスト基金コンサートの為に、リハーサルを翌日朝から始めた。リハーサルの三日間の後、コンサートは行われた。それはまた大いに成功した。
今、僕は数日の内に日本に行く計画を始めている。僕はこの旅を毎年春に行なっていて、それはCHICの春夏ツアーシーズンの始まりになっている。
ここに座っている間、僕は未来の可能性を深く考えている。これは写真の中の僕の先週だ。
僕、フォンジー、そしてルーサー - これが僕のルーサー・ヴァンドロスとの最後のセッションだった
今日はイースター・サンデー(復活祭の日曜日)で、僕は僕の人生を振り返っていた。僕は昨日、昔からの友人であり、ルーサー・ヴァンドロスがCHICにインスピレーションを受けたChangeをやる為にCHIC Organizationを離れた時に加わった、同僚のフォンジー・ソーントンからeメールを受け取った。
フォンジーは僕のプロとしての最初の仕事だったセサミ・ストリートでの僕のルームメイトで、僕達は世界中をツアーして周った。僕達は丁度19歳で、そしてそれ以来僕達は友達だ。
僕達は沢山の音楽を担当したニューヨークのスタジオ・ミュージシャンのグループの一部である事をとても誇りにしている。主に人々をダンス・フロアに押し上げる、だが同時に彼らの魂に触れる音楽。彼らのとても多くが亡くなり、そしてフォンジーはいつも僕に言う。それをやり続けると約束しよう!と。
ルーサー・ヴァンドロス - 安らかに眠れ - はCHIC、Changeそしてボウイと歌った。彼の作曲とヒットレコードの作者としての表示はリストアップするには余りにも長過ぎる。
CHICの共同設立者、バーナード・エドワーズ - 安らかに眠れ。彼のヒットソングそして作品はリストアップするには余りにも数多い。
トニー・トンプソン - 安らかに眠れ - はCHIC、ボウイのレッツ・ダンスそしてシリアス・ムーンライト・ツアー、パワー・ステーション、そしてレッド・ツェッペリンとのライブ・エイド等で演奏した
ルーシー·マーティン、レイモンド·ジョーンズ - 安らかに眠れ - そしてアルファ・アンダーソンと背後のCHICの弦楽器パート
僕、CHIC Organization、そしてフォンジー・ソーントンはそれをやり続けると約束しよう!
僕の前パートナー、バーナード・エドワーズの死の15年忌に敬意を表して - 去年4月東京にて
僕はもうすぐ日本に向かう。僕はバーナード・エドワーズの思い出に敬意を表して毎年春に行く。彼は僕の長年のパートナーであり、CHIC Organization LTDの共同設立者だ。そして彼は約16年前僕と日本で演奏している間に亡くなった。
僕達はJTスーパー・プロデューサーズと呼ばれる、大規模なギグをしていた。それは90分のTVスペシャルでクライマックスを迎える、一連のコンサートだった。そのコンセプトは: 音楽プロデューサーをその物語を語る事で称えるというもので、プロデューサーが共に仕事をした沢山のアーティスト達とのライブ・コンサートがその後に続いた。1996年、僕はそのプロデューサーで、スティーヴ・ウィンウッド、デュラン・デュランのサイモン・ル・ボン、シスター・スレッジ、スラッシュそしてCHICが出演したアーティストだった。
そのライブ・コンサートの最終日、バーナード・エドワーズはステージで崩れ落ちた。彼は回復し、3時間のコンサートを続けた。そのショーの後彼はホテルの部屋に戻り、そして、テレビを観ながら長椅子の上で亡くなった。
僕は、翌朝彼が目覚ましの電話に出なかったので(部屋に向かい)彼の遺体を見つけた。信じられない。16年が経ったのだ。
80年代パワー・ステーションにて僕とバーナード・エドワーズ
80年代のバーナード・エドワーズ - 非凡なベース奏者、そして僕
ナイルとナード(バーナードの愛称)96年4月武道館 - バーナードの最後のショー
スティーヴ・ウィンウッド
サイモン・ル・ボン
シスター・スレッジ
スラッシュ
CHIC Organizationの最初のフルメンバー
僕が作曲している、新しいミュージカルからの曲をキッチンで演奏している
約1年半前に癌に襲われて以来、僕は精一杯人生を生きるように努めている。満たされた人生と僕が呼ぶ生活の一部は、返していくものだ。僕は人々が僕に沢山くれたようには僕は出来ていない。
僕は人生の道のりの間に多くの偉大なる師を持ってきたし、僕はそれらの教えを大事にしている。僕が作曲するまたは制作する時、僕は脳の中に深く留まっているトリックの巨大な鞄を開ける。
4月10日、午後7時、ニューヨーク大のフレドリック・ロウ劇場で、僕は作曲家の殿堂、マスター・セッション・イベントを行う。僕は長年培ってきた幾つかの技術を分かち合い、僕の新しい作品の幾つかさえ演奏するつもりだ。それは一般に公開されていて、無料だ! 僕はCHICからマドンナ、ミュージカルまで全てをカバーする。
ニューヨーク大スタインハートのポスター
僕の音楽の師の一人、テッド・ダンバーがマスタークラスを行なっている
僕の二番目のCHICのアルバム "C'est CHIC" - 僕達の最も売れたレコードについて、語るべき沢山の話がある
マドンナのアルバム "Like A Virgin" は彼女の最大のヒット作だ
ダイアナ・ロスのアルバム "Diana" は彼女の最大のヒット作だ
デヴィッド・ボウイのアルバム "Let's Dance" は彼の最大のヒット作だ
アラバマ・シェークスピア・フェスティバルでの僕のミュージカル、"Double Time" リハーサルでの俳優達
ショーの直前の、カーネギー・ホールのステージ上のギター・セクション
今日のブログ投稿のタイトルへの、勿論冗談での答えではあるが、"練習" だ。火曜の夜、僕達はセーブ・ザ・レインフォレスト基金(熱帯雨林を救え基金)の為、カーネギー・ホールで素晴らしいパフォーマンスをした。ショーをする前に、僕達は沢山練習をしなくてはならなかった。午前10時に始まり、夜にまで及ぶリハーサルが3日あった。"どうやってカーネギー・ホールに辿り着く?" という事(答え)を示す、最後の何日かの写真が更に幾つかある。
小さなセクションで弦楽のチャート(譜面)を練習する
ブルーノ・マーズが "Jail House Rock(監獄ロック)" を練習している
スティング、エスペランサ・スポルディング(他のカメラを見ている)そして僕が練習で写真休憩をとっている
カーネギー・ホールで僕達が練習をしている間、僕達の出演者の一部は休憩の時に写真を撮っていた
音楽ディレクター、ナラダ・マイケル・ウォルデンがバンドに合図を出す
コーラスとバンドがナラダの指示を聞いている
僕達はフィナーレの練習をまさにしようとしている - これが、カーネギー・ホールが僕達の椅子からどう見えるかだ。
全部のショーをひと通り流す前に、"Moon River" を練習する
僕達が全体のショーの練習をする前に、カーネギー・ホールで何曲か練習をしている
楽屋のある場所でのメリル・ストリープとジェニファー・ハドソン
はっ! ティーンの時に僕がカーネギー・ホールに最初に行った時、皆煙草を吸っていた(貼り紙に「喫煙禁止-カーネギー・ホールには新しい、とても精度の高い火災警報装置が設置してあります。それが作動すると、ビル全体に響き渡ります。-冗談ではありません。」と書いてある事をうけてのコメント)
クリントン大統領、メリル・ストリープそしてブルーノ・マーズ(シルエット) - 大統領がサックスを吹いているのを聞いた事があるかい? 余り練習しなくても、大統領はカーネギー・ホールに辿りつけるんだ
メリル・ストリープと僕 - 彼女は昨夜カーネギー・ホールで素晴らしく歌った
昨夜は最高だった。僕はレインフォレスト・コンサートで演奏するのが好きだ。それは素晴らしいイベントで、僕はスティングとトゥルーディに別の素晴らしい夜の為にブラボーと言う。そのショーにはいつも沢山の興味深い人々がいる。参加者だけではなく、訪れた人々の何人かもだ。僕がプロのミュージシャンになる前でさえ、僕の全ての人生で僕はスターの周りにいた。僕はクリントン大統領が転がり込んで来た時、とても感銘をうけたことを認めなくてはいけない。
今年のアーティスト達はとても力があり、ショーには皆の為の何か素晴らしいものがあった。オペラのスーパースター、幻想的なダンス、そしてメリル・ストリープはかなり難しい曲 - 彼女は確実にこなした - を歌った。ここに無作為に写真を何枚か掲示しよう。
唯一無二のエスペランサ・スポルディングと僕
ジャレッド·シャーフ(Saturday Night Liveのギタリスト)、僕そしてウィル·リー(デヴィッド·レターマン[・ショー]のベーシスト)
トム・ハンクスと僕さらにもう一つのコンサートにて - この時、彼の妻リタ・ウィルソンも演奏した
リタ・ウィルソンと僕 - 僕は彼女が歌った事を知らなかった。彼女は友達だ。人は何か新しいものを見つけるものだ。
僕の流儀で、全ての演奏者達にサインをして貰う僕のギター。何故なら、これはまさに、多分二度と集う事のないグループだからだ。
2004年からの僕のレインフォレストのバックステージ・パスと他のサインされたギター
ジェームス・テイラー、メリル・ストリープ、エルトン・ジョン卿、そしてスティングがオズの魔法使いのキャラクターとしてまさに出てきて演奏しようとしている
僕の、2010年レインフォレストの予備のギター
トゥルーディ、エルトン、そしてメリルがフィナーレに取り組んでいる
昨日はスティングのチャリティの為の資金集めのイベント、セーブ・ザ・レインフォレスト・ベネフィット・コンサート(熱帯雨林を救え慈善コンサート)の為の僕達のリハーサルの二日目だった。彼の妻、トゥルーディ・スタイラーはいつもコンサートをプロデュースしていて、そしてそれはいつも素晴らしい。
これらのコンサートは僕の習わしとなっていて、僕はいつも演奏者達と曲の興味深い融合を楽しみにしている。僕はまた、僕のイベントの思い出としてギターの一つに全アーティストのサインを集めている。何故なら、全く同じ演奏者達のグループは決してひとつの舞台に二度と集わないだろうからだ。
毎年、素敵な思い出があり、そして今年も例外ではなかった。つまり、何度メリル・ストリープがオーケストラで歌うところを、もしくはリタ・ウィルソンがヴィンス・ギルとデュエットするところを見る事が出来るか、という事だ。
今年、エルトン・ジョンとブルーノ・マーズが、エスペランサ・スポルディング、ジェニファー・ハドソン、ジェームス・テイラー、ロザンヌ・キャッシュ、ブリン・ターフェルが、チャニング・テイタムによる一流のダンス・ナンバー、そして勿論マルチな才能を持つスティングと共に会場を揺り動かすだろう。
毎年僕達の音楽監督はナラダ・マイケル・ウォルデンであり、僕達のバンドとコーラスは本当に同じ顔ぶれだ。それはいつもとても素晴らしい!
スティングとエスペランサ・スポルディング
ジェニファー・ハドソンが "paint off of the walls" を歌っている
二人のストラット(遣い)の男たちが "Diamonds Are A Girl's Best Friend(ダイヤモンドは女の子の一番の友達)" を演奏している
ジェームス・テイラーとオーケストラ
ジェニファー、ブリン、リタそしてヴィンスがフィナーレを練習している
リハーサル中のブルーノ・マーズ
僕達のホーン(管楽器)・セクション
レインフォレスト(コンサート)のギター・セクション
2日の内に、僕はスティングとカーネギー・ホールで演奏する。彼のセーブ・ザ・レインフォレスト・ベネフィット・コンサート(熱帯雨林を救え慈善コンサート)を行う(手伝いをする)ことは僕の人生の習わしとなった。エルトン・ジョンも僕が行ってから毎年行なっている。ジェームス・テイラーもそこで殆どの年行なっている! 僕は以前からずっと僕のもう一つの家族達となったミュージシャンのエリート・グループと繋がることが好きだ。
今年のゲスト・アーティストの何人かはブルーノ·マーズ、メリル·ストリープ、ヴィンス·ギル、ジェニファー·ハドソン、チャニング·テイタム、ロザンヌ·キャッシュ、そしてブリン·ターフェルだ。スティングの妻でショーのプロデューサーであるトゥルーディ・スタイラーは多岐に渡る、種々のそして興味深い演奏者達の一座を必ずまとめ上げる。
スティングとトゥルーディは気持ちを大事にする。僕が、自分が癌に襲われたと気付いた時、僕に手をさしのべてくれた最初の人々がデヴィッド·ボウイ、スティング、トゥルーディそして僕達のレインフォレスト音楽ディレクターのナラダ・マイケル·ウォルデンだった。ナラダと僕は昔からの知り合いで、彼は僕が知る最も才能にあふれる人々の一人だ。