ロンドンでのCHICの友人達
UKのマンチェスターでのギグが終わってすぐ、僕の仲間CHICstersと僕はスペインに向かう機上にいた。何て信じられない程に素晴らしいショーと自叙伝"Le Freak"の紹介ツアーの週なのだろう。
僕らの為にこんなに素晴らしいことをしてくれてありがとう。これは、君たち-CHICの友人達によって撮られたここ数日のビデオハイライトだ。
afarquhar1962による、”ダンス・ダンス・ダンス”
jasiassiによる、Avoセッションバーゼルでの"Le Freak(おしゃれフリーク)"
ursamyn0rによる、"Let's Dance"について話して演奏する僕
g0ldt00thによる、"Le Freak"でのステージ侵略!
AvoセッションバーゼルでのThe CHIC Organizationとのステージにて-写真提供者:アジェンシアEFE
これらの曲を何度演奏しようとも、未だに初めての時のように感じる。ディスコパーティみたいなパーティは他には無いんだ。だって、ディスコパーティは止まらない!
AvoセッションバーゼルでのThe CHIC Organizationとのステージにて-写真提供者:ドミニク・プルスavo.ch/de/photos
約1年前に癌が僕を襲った後、僕はこのブログを始めた。それ以来、僕には何度かの浮き沈みがあった。でも、どんなに悪い事があろうとも、ステージに上がれば、それは本当に良い時(グッド・タイムズ)だ。
飛行機の窓から。スイス、バーゼルの山々の間からの、雲の細い帯の眺望
今日、スイスのバーゼルに着陸する時、僕はとてもナーバスだった。窓の外の山々は飛行機の高度よりも高く、かなりの時間、僕らは下降していた。眼下に見えるものは雲だけだった。雲が切れるとすぐ、滑走路はすぐそこにあった。僕にとって、それは危機一髪だった。
僕は、The CHIC Organizationとのライブショーと、僕の自叙伝” Le Freak”のサインツアー中だ。
その中で、僕は自分を含む、死に神に連れ去られてしまったCHICの沢山のメンバー達について語る。幸運な事に、僕が80年代後半にほぼ死んでいた際、医師達は僕を連れ戻してくれた。だが、本当にそれは危機一髪だった。
セント・ルークス・ルーズベルト病院 - 80年代に僕が臨床的には死んでいた後状態から、彼らが僕を連れ戻した場所だ。
リック・ジェームスと僕-僕は彼と沢山の危機一髪の目に沢山遭った
バーナード・エドワーズ-安らかに眠れ
トニー・トンプソン-安らかに眠れ
ルーサー・ヴァンドロス-安らかに眠れ
レイモンド・ジョーンズ-安らかに眠れ
Le Freak:
An Upside Down Story of Family, Disco, and Destiny
Written by Nile Rodgers
Category: Biography & Autobiography - Personal Memoirs; Biography & Autobiography - Composers & Musicians; Music - Popular
Format: eBook, 336 pages
On Sale: October 2011
Price: $ 12.99
ISBN: 978-0-679-64403-3 (0-679-64403-2)
Available as a hardcover and eBook.
Today's pop music—genre-crossing, gender-bending, racially mixed, visually stylish, and dominated by dance music with global appeal—is the world that Nile Rodgers created. In the 1970s and 1980s, he wrote and produced the songs that defined that era and everything that came after: "Le Freak," "Good Times," "We Are Family," "Like a Virgin," "Modern Love," "I'm Coming Out," "The Reflex," "Rapper's Delight." Aside from his own band, Chic, he worked with everyone from Diana Ross and Madonna to David Bowie and Duran Duran (not to mention Mick Jagger, Debbie Harry, Bob Dylan, Eric Clapton, Michael Jackson, Prince, Rod Stewart, Robert Plant, Depeche Mode, Paul Simon, Peter Gabriel, Grace Jones, Bryan Ferry, INXS, and the B-52's), transforming their music, selling millions of records, and redefining what a pop song could be.
Read more about and pre-order the upcoming memoir here:
"Le Freak: An Upside Down Story of Family, Disco, and Destiny"
僕はBBC(イギリス放送協会)で丸一日、僕の本"Le Freak." のプロモーションをした。そして今スイスに向かっている。
昨夜は一睡も出来なかったが、今夜も大して睡眠をとれないだろう。時差ぼけを解消し、僕は到着した時にショーをしなくてはならない。だが、“Le Freak”の物語を共有出来るのはとても素晴らしいことだ。
US版表紙
UK版表紙
これがCHICの前身、ビッグ・アップル・バンドのビデオの最後のものになる。ケニー・リーマンがこの短い一式連のビデオを録音画してくれていた事を、僕は本当に嬉しく思う。 スタジオの時間使用料が高かったので、4曲は全て一発撮りだった。
数日前に観て以来、僕はこれを何度も何度も観た。バーナードとトニーが懐かしい。健康で、演奏を楽しんでいる彼らを見るのは素晴らしい事だ。
僕は音楽が好きだ。僕は人生が、そして僕の毎日のガン癌の旅のブログをフォローしてくれて、僕と気持ちをシェアしてくれている君たち皆が好きだ。それが本当のところだ。
これは僕のCHICの前身、ビッグ・アップル・バンドによる別のカバー曲だ。ルーファスの "スウィート・シング"。
デビッド・ボウイと "China Girl" に取り組んでいた時、僕はそれに"Sweet Thing" からギター・リフをもじったバージョンを弾いた。僕はシングル曲を書く時、大体その曲の最初にフック(サビ、引っ掛かるフレーズ)を持ってくる。
僕はこれがアジア風のサウンドを持っていると思い、このルーファスの曲のギター・リフに触発された。"China Girl" のはじめのところ、バンドの演奏が入ってくる前に僕はそのリフを軽く弾いた。驚いた事にデヴィッドはそれを気に入って、それはまさしく素敵な事になった。
CHICになる前、僕らは沢山の違った音楽性を試していた。僕らはロックフュージョンのバンド、The Boizであり、そしてまた、ビッグ・アップル・バンドでもあった。
レコード会社は皆、僕らのロックデモを気に入ったが、僕らが黒人だと分かった後は受け付けてくれなかった。どことも契約が出来なかった。だが、ディスコムーブメントの開放性は僕らを認めてくれるという事がすぐに判ってきた。
高校のプロムギグの機会を得ようとして、このデモをしてから数ヶ月後、僕らは最初のCHICの曲をレコーディングした。その曲は”エブリバティ・ダンス”だ。その担当部門の人は僕らに言った。『ロックじゃなくてさ、やっぱ踊れないとね ! Yeah !』
僕はまさに僕の人生で初めて今日のこのビデオを見た。それは、僕らCHICの前身である、ザ・ビッグ・アップル・バンドのスタジオ・ライブだ。これはCHICのデビューシングル「ダンス・ダンス・ダンス」の共作者である、ケニー・リーマンによって作られた。ケニーはまた、僕らが高校のプロム(学年末に正装で行うダンス・パーティー)でギグをするようブッキングするエージェントだった。僕らは一度もプロムでのギグの機会を得る事は出来なかったが、チトリンサーキット (R&B界では定番だったドサ回りトゥアー経路の通称)でギグをたくさんやったし、CHICの種がそこで蒔かれた。
自叙伝"Le Freak"で、僕は仲間が納得出来ずにいるうちから、如何にバーナードと僕が洗練されたファンカーになっていったかを書いた。バンドメイトがよりロックンロールカジュアルな着こなしをしている中、彼と僕だけがスーツを着ている事に注目して欲しい。ベートーベンの交響曲第5番をディスコ・リメイクした、作曲家/アレンジャー/プロデューサーである非凡なウォルター・マーフィーが大きな成功を収めた後、僕らのバンドは、その名前の変更を余儀なくされた。彼はそれを、ウォルター・マーフィーとビッグ・アップル・バンドによる"A Fifth of Beethoven (運命76)"として発表したからだ。
このビデオで、僕らのビッグ・アップル・バンドはアース・ウインド&ファイアーの"ゲッタウェイ"をカバーしている。オリジナル版に入っているキーボードやホーンセクションを用いる事なく、完全にその曲のDHM(深い裏の意味、※)を捉えていると僕は考えている。僕はビッグ・アップル・バンドのどちらのカバー・バージョンにも敬意を表する。 (※)聴かせどころ、曲の核心といった意訳が可能な、2010年発表『ザ・シック・オーガニゼイション・ボックス・セット・ヴォリューム・ワン』のナイルによるライナー・ノートでも説明されている言葉。
二日前、WOWOWのドキュメンタリー番組が届いた。君たちの多くが既に見ただろうが、まだ見ていない人もいる。制作会社Br@in(ブレイン)は素晴らしい仕事をした。僕は二日連続でこの映像をアップした事が許されると信じている。
これはノーカットのTVスペシャル番組で、日本で放送されたばかりのものだ。君たちがタイムラインに沿ってどこでもスクロール出来るよう、僕はこれをこのフォーマットのまま投稿する方が良いと思った。
ナレーションは日本語だが、他は全て英語だ。完全に話についていけるように出来ている。これはほぼ全ての僕のプロフェッショナルとしての人生を明らかにしている。ビデオゲームのサウンドトラック、ミュージカル"ダブル・タイム"(ナイル・ロジャースがプロデュースしたもの)、バーナード・エドワーズの死、進行性の前立腺癌に襲われた事、日本の津波、The CHIC Organization、僕の毎日のブログ -惑星Cを行く[C: cancer、癌]-、そして更に多くの事をこの“魂のスタートアゲイン”-WOWOWドキュメンタリー番組で再び説明している。