A Few Moments Before She Died


左の僕の母ベヴァリーと、右の伯母メイベル(故人)は大のビートルズ・ファンだった。彼女はザ・ビートルズの五十周年の年に亡くなった(訳註:アメリカ上陸からのカウント)

前回のブログ更新以後とても多くの出来事があったから、どこから書き始めたらいいのかを判断しかねているんだ。このブログはもともと僕の癌との戦いの紆余曲折とその後の経過を記す為(に始めたもの)なので、その話から始めよう。


僕の最新の胸部X線写真

僕は最近、別の癌検査を受けたんだ。このところかなりの痛みがあったのでいくらか心配だった。心臓、血管それから他の起こりうる問題のより詳しい観察をする(take a closer look[訳註:CHICの曲名と掛けているのか?])べく、僕の主治医が胸部X線写真をくれた。しかしいずれも結果は陰性だった。僕か感じていた痛みは純粋な筋肉痛・・・僕の働き過ぎと間違った身体(筋肉)の使い方からくるもの。今は手術直後の運動ルーティーンに戻っているよ。この方がやはり身体には優しいね。

僕は僕に与えられた人生にとても感謝しているんだ。僕は僕の知る中で最もナイスで才能ある面々と仕事をする事が出来ているよ。自分の多くのキャパシティを駆使して仕事をし、それがいつも人生を面白くし続けている。僕は賞というものについて滅多に話したりしないんだけど、この数ヶ月の間にいろんな団体が僕に敬意を表してくれた方法には圧倒されているところなんだ。

僕は賞を穫る為に働いている訳ではない。誰かが僕に(それが)候補になっていると教えてくれるまで、僕は賞の事を考えなんていないんだ。僕は受賞できるなんてめったに予期しないんだけど、時々その予期しなかった事が実際に起こったと認定する像や額、文書を見て僕は驚くんだ。

僕はこれらのトロフィーを僕に授けるのに適していると考えてくれた様々な団体に本当に感謝しているよ。僕は単に、僕が感じている何かを君達にも感じさせるような新しい方法を考え(成長させ)続けているだけなんだけどね・・・あるいは単にダンス・フロアで君をその気にさせようとね。

この数ヶ月間で、僕は想いを同じくする素晴らしい面々と一緒にいたんだ。一部を記すと:ジョニー・マー、ザ・LAハイ・スクールのマーチング・バンドと軍旗衛兵隊、ノーナ・ヘンドリクス、ジェフ・ベック、マーカス・ミラー、ファレール・ウィリアムズ、ジョニー・ギル、フォーンズィ・ソーントン、ボーイ・ジョージ、DJキャシディー、クインシー・ジョーンズ、ポール・ウィリアムズ、サム・スミス、ミステリー・スカルズ、アヴィーチー、ディスクロージャー、クライヴ・デイヴィス、セイモア・スタイン、"リトル" スティーヴィン・ヴァン・ザント、ジュリー・テイモア、セス・トゥロクスラー、ピート・トンそれからサイモン・ル・ボン。

僕の人生で音楽が果たす役割に全体像を与えるなら、それは素晴らしい事であり、僕は偶然の一致だとは思わないんだ。僕はCBSニューズの特別番組に出演して、ジ・エド・サリヴァン・シアターのまさにその舞台に立った。僕の伯母メイベルの大好きだったグループ、ザ・ビートルズが、五十年前に世界中に紹介されたその舞台にだよ・・・皮肉にも彼女が亡くなるほんの少し前に(A Few Moments Before She Died)。

 


僕の三つのグラミー賞トロフィー。誰がこんなことが起こるなんて思った?


候補になった内の四分の一は受賞をのがしているが、(それでも)僕はとても多く(の賞)を穫った、しかも五つもの別々の団体(場所)でそれが行われた。思っているよりも長くこの仕事をやってきたんだな


僕、IMSリジェンド賞をDJピート・トンから授与されているところ(訳註:The International Music Summit、トンは創始者、アイヴィーサ[イビサ]で開催)


リズム・ギターの仲間(兄弟)であるジョニー・マーから、世界的に最も評判の高い作曲家の賞の一つ、IVORを受賞した事は僕に涙を流させた(訳註:The Ivor Novello Awards、1955年よりロンドンで開催)


サイモン・ル・ボンがアイヴィーサでIMSリジェンド・アウォーズを僕に与える為にサプライズ訪問


僕、ファレールとドン・ウォズ、エミー・シアターにて


驚異的なノーナ・ヘンドリクス、ジョージ・クリントン、サイモン・ル・ボンとのファンク・アウトは忘れられない


唯一無二の存在、ジェフ・ベックに愛と敬意を表す


R&R殿堂のアイコン、サイア・レコーズの大立物セイモア・スタインと僕


ジョニー・ギル、マーカス・ミラー、クライヴ・デイヴィス、僕、セヴェーダ・ウィリアムズとフォーンズィ・ソーントン。ルーサー・ヴァンドロスがハリウッドのウォーク・オヴ・フェイム入りをした時に


僕がカリフォーニアで出会うことは無いだろうと思っていた(のに偶然出くわした)のは、親友でWe Are Family Foundationの一員、ジ・Eストリート・バンドの "リトル" スティーヴン・ヴァン・ザントだった


DJキャシディ、CHICのリハーサルで


僕と最高に天才的な監督であり古くからの友人、ジュリー・テイモア(訳註:2007年の「アクロス・ザ・ユニヴァース」、2010年の「テンペスト」他で知られる)


僕、驚異的なタワサ・エイジーとジェイムズ・エムトゥーメイ


僕とクインシー・ジョーンズ、カナディアン・ミュージック・ウィークで


ダフト・パンク仲間の一人、伝説的な作曲家ポール・ウィリアムズ(訳註:ロジャーズ参加曲とは別の曲に参加)


ディスクロージャーと僕、ブリッツ・アウォーズのレッド・カーペットで


僕、ジ・エド・サリヴァン・シアターでのビートルズ五十周年特番収録を終えて。 マークウィス・ホテルはザ・ビートルズが演奏した夜と同じ看板を再現した